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2005.01.31

1/30 静かな日曜

地域福祉計画策定市民委員会に提出する提案についてまとめる。提案した資料について委員長が臨席しないで審査するというので、心配だ。

あとはメールのやりとり数通。静かな日曜日。

●橋本派の不正献金問題で、検察審査会が橋本、青木、野中の3氏を不起訴としたことは不当という審査結果。
このことの法的妥当性はその通りなのだろうけど、政治や企業不祥事の捜査では、一定の司法取引が行われ、成果を挙げたい検察と、1人でも多くの関係者を守りたい被疑者との間での調整の結果として人身御供のように犯人が決められていく。その調整の結果がひっくり返るとすると、これまでそれを信じて証言し続けてきた関係者はどうなるのだろうか。不利な供述を強要されない、とする憲法そのものの精神に反することが行われていることになる。
そもそも政治的なものに対する捜査のあり方として今の検察のやり方がどうか、というのもある。
もともと歯科医師連盟の不正献金疑惑のターゲットは安倍晋三と石原伸晃だったのに、いつの間にか不問に付され、橋本派になってしまっている。橋本氏や野中氏の再追及を検察が行うなら、元々の不正献金疑惑から問い直すべきだろう。

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2005.01.28

1/28 市民サービスのありかた

午前中、ファミリーサポートセンターの説明会に出席。子育てボランティアとそれを必要とする人を市が結びつける制度。ボランティアの活用する事業としてはとてもうまくいっていると思う。制度がわかりやすいことがいいのだと思う。ボランティア確保が大変なことだろうと思った。多くのボランティアは善意だと思うが、宗教関係者が手を挙げた場合はどうしているのだろうか。

午後は、スリング講習会に参加。市民による子育て技術の講習は、細かいニーズに合っていて、とてもよかった。好きなこと、得意なことを人に伝えるからだろう。

しかし、公的セクターが市民の細かいニーズにそった支援をやる場合、どうしてもニーズに届かなくなってしまう。市民からのお任せサービスになってしまうのが最大の問題だし、好きでも得意でもない職員がやることになりがちで、彼らが面白がって研修行ったり、自分で勉強したりしなければ、届かないサービスになるのだろう。だから、市や市の外郭団体で働く人たちへの研修や勉強は、おしつけではなく、働く人たち自身の権利として保障していくことが必要だと思う。

市内を広く移動したが、バスなどの公共交通がなく、結局電車で移動。たくさん歩いて、ちょっと電車、そしてまたたくさん歩く。市内なのに移動に40分以上もかかった。市民が市内に居着かない理由の1つだろう。

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2005.01.27

1/27 情報公開ではなく情報の共有

都内の選挙の相談を受ける。状況は厳しいが、うまく整理すれば勝てそうな陣営。寄り合い所帯の選対になりそうなので、事務局長がキーマンとなりそう。一般有権者と候補者だけを向いている、中立の人物を選ぶべき、場合によっては傭兵がいい、とアドバイスする。

昨日の次世代育成支援行動計画の策定委員会で、各方面から出された文案と、私が関わったあさかの子どもの未来つくる市民の会の意見書との突き合わせを行い、採点作業。

●埼玉新聞社「生き生きまちづくり 埼玉県志木市の挑戦」を読む。地方分権と市民参画を徹底した志木市の実践は注目できる。私の労組は、市の職員を10分の1にするという目標を掲げる志木市の改革には、当然のことながら否定的だ。だが、行政効率のためにビジョンも無く民間委託やNPO下請化を小出しに繰り返す他の自治体よりは、政策の企画立案から市民に丸投げしている志木市のほうがほんとうに改革だ。市民の力を信じるという市長の姿勢はすばらしい。
穂坂市長は市長の役割として①多様な市民の意見を公正に集約し、行政に反映させること、②将来における市の運営に責任をもつこと、③行政の立場である弱い立場にある市民の声にも耳を傾けること、と言っている。当たり前のことだが、市民から預かった税金の話しかしない市長や、集権的な改革首長ばかりが目立つ中では、珠玉の理念といえる。
その柱が市政運営基本条例。理念を市民が主体となって考え、行動し、市民及び市が協働して推進する、として、その具体的な手順として、市民との情報の共有や、市民の市政参画への必要な措置などが盛り込まれている。この条例をもとに、政策の企画立案から実施まで市民が参画できる行政パートナーシップ制度がスタートしている。
情報公開ではなく、情報の共有、ということが偉い。市民の参画を効率性より重視した姿勢がよい。
一方、隣のわが朝霞市はどうか。まだ市役所が情報をなかなか出したがらない、市民との意見交換を避けたがるところなどは、志木市の足下にも及ばない。

穂坂市長は、県議時代、当時の「革新」県政攻撃の先頭に立ち、保守反動県議で名前を鳴らした人。それが市長になって善政をひいている。土屋知事も、参議院議員時代は保守反動の代表だったが、知事になってからはDV対策や児童虐待に熱心に取り組んだ。また志木市には村上正邦さんも住んでいる。彼も保守反動宗教界から推薦された政治家だったがNPOの成立では辻元清美さんとともにがんばったりした。古い保守反動の政治家がこうした転身の仕方をすることは政治の研究にとって意味深いような気がする。今の上田知事は中曽根行革の焼き直しの考えしかない。さびしいものだ。

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2005.01.26

1/26 子どもの未来を朝霞市でつくれるか

午前中、次世代育成支援行動計画策定委員会を傍聴する。
委員どうしがかみ合っていない議論している。団体選出委員、子どもや保護者と直接接している人たちの委員、市役所がそれぞれ全然違う。団体選出委員からは、他市の計画をパクってはダメとか、共働き家庭はネグレクトがおきて非行に至る、とか、びっくり発言続出。委員と市役所とコンサルタントからそれぞれ原案となるような文が出て、よくかみ合っていない。役割を父親や母親に特定するような問題表現も気になる。

いいこともあった。委員会の委員をしておられた幼稚園の先生と再会。パブリックコメントの意見書をほめていただいた。

今後は、私たちの出した意見書と、委員会に提出されたいくつかの原案の資料との突き合わせ作業をやって、どの程度反映されたか検証していく作業がある。

次世代育成支援行動計画は、横断的計画なのに、児童福祉課だけでまとめていて、他セクションの協力がどのくらい得られるのか心配になってきた。他の課が前向きにならなければ単なる保育推進計画でしかなく(それはそれで意味があるが)、次の世代を地域全体で力づけて育てていく、という高邁な国策は推進されないことになる。また、不動産屋さんとの連携とか、スーパーへの協力とか、そういう絵姿が見えないのが残念だ。

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1/25 山手線の1周の時間

来年秋に山手線が少し速くなるらしい。今は一まわり63分が59分になる。

むかし、「定刻発車」という、近代日本人の時間感覚の獲得した歴史を調べた研究家の本を読んだことがある。分単位の時間感覚は昭和初期の東京の電車から生まれたという。
明治維新以後、しばらくも日本人の時間の感覚は日の出日の入りに左右される相対的なものだったらしい。時計が普及して以後も、分単位の時間感覚が日本人になかったようだ。分単位の時間感覚は、東京圏で国鉄が電車をたくさん運転するために、いろいろな工夫をされていった結果として産まれてきたものらしい。今でも地方に行くと、15分程度の時間のずれは何とも言わないところがある。
大正時代までは、朝のラッシュ時間の電車の乗り降りに1駅2分程度かかっていたらしい。札幌にいた頃、乗ったJRの通勤電車は、駅ごとに乗り降りの入り乱れる中で長時間止まり、札幌駅に着いたのは定刻より10分近く遅れていた。札幌近郊は、整列乗車もなければ、「車内中程に」詰める習慣もない。降りる人が先、というのも当時はなかったし、ドアの前にたちふさがる人も多かった。
話は戻るが、昭和初期、東京が郊外に広がるにつれて、電車通勤者が増え、電車の本数を増やす必要に迫られた
鉄道省が、整列乗車の実験とか、自動ドアを入れるなど工夫を重ね、ようやく1駅2~30秒の停車時間にしていった。

今度の山手線の時間短縮はコンピューター技術の向上による電車の運転システムの改善によるもの。自動運転に依存する部分を増やし、運転のむらをなすことで全体の運転時間の見直しが可能になったようだ。全体で3分なので、4~5駅しか乗らない利用者には効果が薄いが、時間短縮する分、車輌が浮くので本数を増やすことになるようだ。

では東上線はどうか。昼間でも、18キロしかない池袋と志木の間が急行で19分もかかる。時速60キロを割っている。首都圏の急行の中では速いが、関西や京急などと比較すると相当に遅い。その運転もそれぞれの電車でむらが大きく、1~2分の遅れや早まりは日常茶飯事だ。ラッシュ時間となると目も当てられない。志木から池袋まで急行で27分かかる。これでは昼間の各駅停車と同じ。
来年のダイヤ改正ではもう少しぐらい速くなるよう、ぜひ改善してほしい。
日本人の人件費が平均賃金年450万円として、年間勤務日数が240日、1日平均勤務時間が7.45時間だとすると、1分あたり40円ちょっとの人件費になる。電車に拘束されている時間を金額に換算する計算の考え方もできる。
今年の4月に東上線は定期券の運賃の値上げをするが、その見返りが乗客には何もない。しかし1分の時間短縮をすれば、乗客は40円のメリットがある。時間短縮の範囲内で値上げはできる、という考え方ができるが、今のところ乗客にそうした示し方はされていない。

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2005.01.24

1/24 誰か出てくれ~

朝霞市長選挙の候補者について調べたら、富岡氏のほかは、小田桐清作氏の立候補のみという。小田桐氏といえば独特の鳥獣戯画のポスターで、このあたりでは有名な人。そんな選択肢しかないこのまちは大丈夫だろうか。誰が出てくれ~。首長なら市外の人でも(というよりも市政が縁故社会なのでその方がいいかも知れない)、立候補できます。

今日の代表質問で、岡田民主党党首の再質問に対して小泉首相の「さきほど答弁した通り」という再答弁のめちゃくちゃさに驚いたが、めちゃくちゃな答弁を繰り返す小泉首相にしびれを切らして退席した民主党にもびっくり。退席するより暴れてほしかったような気がするけども。
次の武部自民党幹事長の質問内容のめちゃくちゃさにも驚く。自民党の失政の責任をすべて官僚と労組におしつけるような内容。これまで自民党はざんざん官僚を利用しておいてよく言うよ。
その結果言いたいことは、社会保険庁と郵政公社の民営化。それは社会保険の積立金や、郵貯の運用を、民間金融、とりわけ外資に流そうという小泉=竹中ラインの魂胆が丸見えだった。これへの小泉首相の答弁は冷静。労組批判や官僚批判はせず、ひたすら施策の説明に終わる。国会で、自民党も官僚にも言うべき事は言っているぞ、というポーズと、反労組宣伝ができればよい、ということなのだろう。失言が多い武部さんだから許されたのか。

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2005.01.23

1/22 失業率の改善でニートはなくならない

「子どもとともに社会を楽しく変えていく」フォーラムに参加。ニート問題を子どもの社会参画で解決していこうという視点のシンポジウム。

午前中はニート問題の専門家である宮本みち子さんから、その問題の本質について講演を受ける。概要は、ニート問題は就労の問題として捉えられているが、シチズンシップの喪失と捉えたほうがよい、という内容。

2007年から始まる労働力不足で雇用は増えて雇用情勢は改善するが、ニートが自立し就労など社会参加することはまだ絶望的という。大学院やダブルスクールに行くような若者と、義務教育の教養すらまともに獲得していない若者で二極分化する傾向が強い状況で、後者の若者の自立は、ポスト工業化という中で、今のままでは絶望的と言う。就職意欲を刺激するだけのニート対策ではダメなようだ。

EUは70年代後半からニートなどの若年者の問題が表面化して、この間の政策の蓄積があり、学ぶべきところが多いという。日本はまだまだEUの70年代後半にも至っていない。日本は、労働力を売るための青年政策ではなく、若者が大人としての地位を獲得し、社会に統合されていく、ということに視点をおいた対策に転換することが重要らしい。

とりわけ、若年者が自立のためにシチズンシップをどう獲得するか、という話が重要で、そのために子どもの権利条約の活用は重要だと言う。子どもが他人の人権を尊重し、子どもを権利の主体として、政策形成や様々な運営に参加させ、まとめた考えを具体化していくことが、社会性や自立のためのシチズンシップ形成に可能性があるという。

スウェーデンの学校での学校評議会の実践が紹介され、子どもの頃から、市民としての意思決定や責任を学ばせている事例の紹介がされる。また青年大臣がいることや、青年組織の自治能力の高さ、自治体議員に10代の議員がいるほか、20代の議員もごろごろいることも紹介された。

今回のシンポジウムにお誘いし来られた議員秘書の方に私が「民主党が強くなっているの、わかるでしょ、30代に重要度が高くても細かい政策を投げてつくらせているから、自民党の若手なんて60代にやられほうだいでしょ」というと「そうだね」といいながら「しかし民主の若手は中年議員よりオヤジ体質だからなぁ」という。うーむ。若者参加では成功していても、その成果物は確かに・・・。

昼食後は、自治体に子どもの権利をどう反映させて、若者の自立を図るか、という話。

シチズンシップの獲得のためには、子どもの頃から、学校、地域、自治体の運営に関わり参画するプロセスを経験していくことが必要という話を聞く。
事例として、鶴ヶ島市の教育長から鶴ヶ島市の学校運営などへの子ども参加が紹介された。人権運動が活発でもない埼玉の1ベッドタウンが、子どもの参加する学校協議会制度や、子ども自身による祭りづくり、子どもによる自治体計画への参加に取り組んでいることに驚いた。今は、底辺校といわれていた県立高校に、中学生を中心にかかわりながら、地域のものにしていく努力をしているという。

続いて山梨学院大学の荒牧教授から、子どもの権利条約が、自治体計画への参加を求めていることについての原理的な説明をされる。

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1/21 小池環境相の英断

小池百合子環境大臣が、ブラックバス規制に積極的な対応をとったことは評価したい。小池さん、政治改革を推進した細川さんのイメージキャラクターとして好印象だったが、その後政治的に迷走し、タカ派的態度を繰り返した結果自民党に復党するなど、印象は下がりっぱなし。しかし、業界団体に押されっぱなしの環境省の官僚をおさえて、目玉の外来種動物の規制をスタートさせたことは、よかった。釣具屋と釣りマニアの勝手な論理で、この国土をめちゃめちゃにされていいわけがない。

●朝日新聞が男性トイレの記事。女性のトイレばかり良くなって、男性トイレは相変わらずで、もう少しマスコミも関心をもってほしい、なんて思っていたのでありがたい。男性の小便器がバブル期から小さくなっていて、隠せなくなっている、という話。アンケート調査では隠せなくても問題を感じてないという人が多数だが、聴き取り調査では、隠したいという人が多いという。一方、小便期が小さくなって、清掃の手間やこぼしの防止、節水に効果が上がっている、という報告も。

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2005.01.21

11/21 社告を長時間ニュースで伝えるな

昨日、今日と料理三昧。どれもこれもうまくいって満足。また近所においしい豆腐屋さんを発見。

毎日、19時のNHKニュースは、長時間にわたって、朝日新聞社に対する抗議や公開質問状の内容を伝える。ニュースの時間に、社告なみの話を長時間伝えられるのはうんざりする。話の内容も、言った言わないのレベルで、かつての共産党なみのじくじくした執拗なやりかたも気味悪い。こんなことは、すきまの時間にでも特別番組でやってほしい。民放で流れた海老沢の引退ニュースは、全然伝えられていない。

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2005.01.19

1/19 少子化はセックスレスのせいか

市内の児童館、子育て支援センター、ファミリーサポートセンターを訪問。

NHKの番組改編問題で事態は泥沼化。
内田樹さんのブログが的確な意見。
http://blog.tatsuru.com/

●毎日新聞連載「未来が見えますか 少子化の風景」のテーマ設定は面白いものの、取材先が奇をてらいすぎて、実感が伴わない。たとえば、今日は、男性が家族を養うプレッシャーに応えられる経済的環境、社会的環境におかれなくなっている、というテーマの記事だが、だからといって最後に子どもができたら恐いからと交際女性がいるのにセックスレスになっている人を取り上げている。交際している女性がいないならともかく、いて、かつその女性からも求められている上で、セックスレスでいられる、ということは、そうした理性的な問題として片づけられるのだろうか。それは少子化問題というより、性欲をコントロールできない人たちがいる、ということでしかないのだろう。子どもが必要でなければ避妊をすればいいし、子どもをつくらない多くの若い男性は妊娠させない工夫をしているのであって、セックスレスなのではない。
こうした特異な例を挙げて、子どもが増えないのは若い男性の主体的にすりかえられることは良くない。こうした報道は、オヤジたちから、最近の若いのは性欲がないんじゃないか、精子が薄いんじゃないか、というセクハラ暴言をあちこちで聞かされる(私も、某団塊世代の作家(というより評論家)を取材したときに受けた)。政治家や厚生労働省以外の高級官僚からはセックス奨励とも言えるような対策ばかりが最初に口をつく。そうした若い男性に対する偏見が広がることを恐れる。

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2005.01.18

1/18 手堅い市政の終焉

午後、地域福祉計画策定市民委員会。今回は各委員の個人的な問題意識について話す。これまで作業に追われ委員の個人的な問題意識を話す場がなかったのでよい機会でなかったかと思う。

朝霞市長選挙に富岡氏が立候補声明。下馬評では最有力候補、というより対立候補が共産党しか聞かない。富岡氏は米軍朝霞キャンプ跡地開発と、朝霞駅の再開発が公約。あと60歳以上の人材のNPO活用と乳幼児医療費の立て替え払い制度の廃止(病院での窓口無料化)など。

朝霞市は、米軍跡地があるために、そこに大規模な公共施設が相次いでつくられてきた。市長選挙のたびに、新人候補からは公園開発がテーマとして掲げられている。これは朝霞市内に数多くある造園業者の圧力によるものと考えられる。新幹線も、高速道路も、地下鉄も、一度作り出すと、次々に同じ物をつくっていかざるを得なくなる、ということは、新藤宗幸「技術官僚」に書かれている。朝霞市の場合、それが公園建設なのである。しかし、キャンプ跡地は国有地で、市のものではない。今までの施設は大蔵省時代の無償貸与の土地で国の補助金が出る施設ばかりつくってきたが、今の財務省の方針では、土地の無償貸与はありえない。買い取りにならざるを得ない。跡地を市が開発すれば、そのまま市の財政を痛めつける。保育所の待機児童問題、介護施設の不足、市はやることはいっぱいある。使われない施設のためにキャンプ跡地を開発するのは市民のために何にもならない。代案として、住宅開発というのもある。しかし、保育所も学校も整備しないで、これ以上の人口増加を促す政策はやめてもらいたい。

NPOが60歳以上という発想も、悪いことではないが、あえて年齢を出すところにずれを感じる。若い人が多いこのまちで、いろいろな地域の活動に参加してもらうか、ということを考えなくてはならないのに、地域活動は60歳から、というメッセージを出すことはデメリットになりかねない。今でも町内会長さんたちの長老ぶりに、感覚のずれを感じている。
乳幼児医療費の病院の窓口無料化も、安易な病院利用を促してしまうのではないか。それでもやる意味があるのだろうか。高齢者の医療では、無料だった時代に、ほんとうに病院を利用しなければならない重度や慢性疾患の患者の診察が手遅れになる弊害があることは、あちこちで指摘されてきて、医療制度だけ優遇する制度設計はよくない、というのが社会の合意になってきた。子どもの場合も同じことが言えないか。払戻方式の無料制度の今でも、ひとたびインフルエンザが流行すると、3時間待ちということがあちこちで起きている。
既成概念を何も変えない思いつき政策は、何か歪んでいるような感じがする。

現職の市長は、歴代の市長より、手堅く市政を進めたと思う。何もしない渡辺市長時代、右寄りイデオロギーの岡野市長に比べ(朝霞市38年の歴史で市長はこの3人しかいない。しかも岡野氏は1期だけ)、福祉も環境政策もNPO育成も、ようやく、よその市なみに市役所が仕事をするようになった。その市長がいなくなることに不安を感じる。塩味市政までは学校で色模造紙1つ買ってもらえず、先生たちが立て替えていたというような話を聞くぐらい、財政健全度しか誇れるものがないぐらい、ひどい市政だった。

政治的には、先回の市長選挙では塩味氏を代議士だった上田氏がひきずり降ろそうとし、対立候補を擁立した経緯から、上田直系の富岡氏が最有力候補となることは、不安を感じている。
先回、塩味氏の対立候補は、初代渡辺市長の息子の渡辺利昭氏(故人)だったが、渡辺氏は、大規模公園2ヵ所の建設と、市の規模に比べ派手になっている市民祭りのさらなる活性化だった。ローマ帝国が滅ぶパンとサーカスを思い浮かべざるを得ないような公約だった。

富岡氏は、自民・公明に加え、民主にも推薦を申請するらしい。民主党代議士だった上田知事の直系の自民党県議だったので、そのあたりのねじれ癒着みたない関係がここに表れている。

大事なのは対立候補だと思う。しかし共産党ぐらいしか声が挙がってないくて、選挙の行方が心配。共産党じゃ変える力はない。もっと朝霞の保守政界よ、荒れなくていいのか。

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2005.01.17

1/17 10年間

ラジオもテレビも神戸の震災10年。
当時は堅気の仕事をしていて、毎日、その会社で使う新しい伝票のデザインに追われていたような記憶がある。こうした災害現場にボランティアが乗り込んでいくことにうらやましくも違和感を感じた。当時は、そういうことをするには失職を覚悟しなければならないような時代だったと思う。今では、災害といえばボランティアすることに、あまりためらいは無くなってきたような気がする。また神戸の地震の反省で、いろいろなところで災害ボランティア育成も熱心になった。

自宅の新聞の切り抜きを整理していたら、ちょうどこの頃の記事がたくさん残っていて、時代の変化を感じた。
この10年、携帯電話がようやく普及したこと、パソコンが普及し始め、多くの人が電子メールやパソコン通信メールを始めたこと、小さな政府型構造改革が始まったばかりだったこと、銀行が守られていたこと、社会党があって党の解散が議論されたたが結局党名が変わってケリがついたこと、民主党なんてなかったこと、菅直人のような都市型政策をひっさげた議員が脚光を浴び始めたこと、NPO、NGOがまだ始まったばかりだったこと、北海道にはまだ炭鉱が残っていたこと、まだ連合の持つ政治的影響力が大きかったこと、統一自治体選挙で20代議員が大量進出したことなど。今では何も不思議じゃないことが当時は新鮮だったり、今はなくなってしまったものが、当たり前のものとして存在していたりする。
神戸の地震はまだ新しい記憶だが、社会システムの多くがずいぶん変わったような気がする。

私もこの年、初めて携帯電話を持ったし、パソコンも買った。
この頃は、プロバイダーの入会条件に、宗教活動や政治活動をしないこと、なんて書かれていて、電子メールで政治ネタの話をして、相手からしかられたりしたことも思い出す。今では、ITをつかった恐い犯罪が横行し、電子メールの問題はもっと違うところにあることがわかってきた。

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2005.01.16

1/15 中高生にヒアリングする政治家

●毎日新聞に岩見隆夫のコラムが掲載されている。民主党の機関紙新年号に静岡の細野豪志という若手議員が中高生とディスカッションするようにしている、という話が掲載されたらしく、その感想について書いていた。細野議員が、子どもにとって政治を「お父さんお母さんによろしく」ではなくて「あなたの問題ですよ」と扱うことが大切、と語っていたことを高く評価し、自民党より民主党のほうが、こうした次の世代に理解のある政党で、そんなところに、自民党が勝てない理由があるんじゃないか、という説明も。また政策も、過去の問題ではなく、今やこれからの問題を考える訓練にもなる、という。その通り。岩見さんの話はいつも面白いし、未来志向礼賛ではなくて、一方で1世代前の政治に重みがあった時代の感覚も知った上での話なので、バランスもとれ、とても参考になる。
夜、東洋大の森田先生からいただいた「子どもにやさしいまちづくり」を次世代計画のコメントを検証する意味で、再度拾い読み。子ども政策が、子どもが有権者でないために後回しにされる、ということが書かれていて、その通りだと思ったこともさらに思いを重ねた。細野議員の取り組みは、直接票にはならないものの、時代のニーズをきちんとつなぎとめる意味でとても重要なものになるだろう。

●私のルーツの九州のまちのとなり町が舞台というので、久しぶりに土曜ワイド劇場を見る。レベルダウンにがっかりした。テレビ局の温泉旅館などとのタイアップ商法なのか、関さばの街を舞台にしていたが、温泉もない町なので、山奥の温泉町に1時間もかけないで移動していたりと地理的に考えると強引な展開、能天気なせりふばかりのシナ
リオ、話の展開にぜんぜんわくわくするものがなかった。昔はまがいものだけれどもお国言葉なんかも無理して使っていたのに、それもない。九州の漁師がどうして標準語で喧嘩するんだろうか。多分、関あじ、温泉旅館の「協力」、俳優は誰と誰、と台本より素材ばかりが先行してつくられているからだろう。天知茂の明智小五郎とか、昔は良かったのになぁ。

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2005.01.15

1/14② 朝霞市に提出した次世代育成支援行動計画案に対する意見書内容

朝霞市の次世代育成支援行動計画に対して、私も参加してまとめ、市役所に提出した意見書の本文です。

私たちの提出した意見書
「あさかの子どもの未来をつくる市民の会・次世代育成支援行動計画に対する意見」

市の募集公告
〈参考情報:朝霞市HP〉朝霞市次世代育成支援行動計画の中間とりまとめ案をお知らせします

そもそもこの次世代育成支援行動計画の策定は、少子化という現状をふまえた国が、各自治体と、各企業に現場での行動計画策定を求めているところからスタートしています。その前に国が策定した少子化対策基本計画より、個人・企業・自治体の自主的な取り組みや権利を重視した政策(≠強制的・産めよ殖やせよ政策誘導)であること、人口増加に着目するのではなく子どもと家庭の問題を直視しその解決を含めた子育ての総合的な対策であること、企業にも働かせ方、子どもや子どもの親を大切にするような営業戦略を求めることなどから、画期的なものといえます。また、自治体計画の策定の手法として、住民や子どもの計画策定への参加、情報公開、子どもの権利の視点、行政セクションや民間、NPOとの連携など求めており、これも高く評価できるものといえます。

したがってこの計画づくりでは、自治体の能力やセンスが大きく問われ、その能力やセンスによって、雲泥の差が生じることになります。
朝霞市の計画策定では、いくつかのミステイクがあります。
全体状況として、朝霞市は少子化問題よりも、マンション乱開発による子どもやその親の転入による社会増が激しく(江東区なども同じような問題を抱えているようですが)、現に増えている子どもやその親を直視した政策が必要になるのですが、そういう積極的な施策が見られないということがあります。
計画策定での市民参加が不十分で、純然たる市民の意見表明の場は今回のパブリックコメントの意見募集1回だけになります。それも市は回答の義務を回避しています。
今回パブリックコメントに付された中間とりまとめ案の文章も、お題目のような項目が並んでいるだけで、具体的な数値や期限がほんとうは盛り込まれているはずなのに、一切公表されていません。情報公開という点からも問題が多いのです。
さらには、文章が抽象的かつ、これまでの行政の縦割りの感覚そのまま、という感じがしています。単にとりまとめをしている児童福祉課の問題ではなく、全庁的な、ある種課を超越した計画のはずが、各課の専門的行政施策用語が並んでいるのです。

そうした状況をふまえると、私たちの意見書は、前提から考え直してほしいということ、さらには詳細項目まできちんと意見しておく必要がある、という考えに至りました。

詳しくは本文をご覧ください。

なお、この意見では、以下の10点の考えを基本においてまとめています。
①朝霞市のなかで子どもや子どもを育てる保護者が大切にされているか。
②子ども自身の育つ力を重んじ、子どもを力づけ、自治能力を高めるような施策が盛り込まれているか。また子どもが自立するまできちんとフォローできる計画となっているか。
③転入者が多い現実から、地域でのネットワークがゼロである保護者に届く方法が書かれた計画であるか。
④子どもが多様な子どもどうしで育ち、葛藤し、励まし合いながら育つ地域社会がつくられるかどうか。
⑤様々な困難な事態に対して、子どもや子どもの保護者が自治体や公的機関、地域社会によって守られるセーフティーネットの機能が果たせるか。
⑥少数ではあっても深刻な問題におかれた子どもや、支援を必要とする子どもに適切な施策が行われる計画となっているか。
⑦家族形態や国籍の多様化など、暮らし方の多様化に対応できる計画となっているか。
⑧子どもや子どもの保護者が政策や事業に参加できることを保障した施策となっているか。
⑨地域力(地域の様々な子育てに携わったり関心をもっている人々の力)を活かす計画となっているか。
⑩保育や教育だけの対症療法ではない対策になっているか。

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2005.01.14

1/14 ありえないからない

やっと朝霞市の次世代育成支援行動計画の案に対する意見をまとめて、提出した。市内の子ども関係者や子ども政策に関心のある人が集まって作業をした。私たちの意見が反映されたり、考え方の基本がくみ取られるかは、今後にかかっている。策定委員数人にヒアリングしたが、市+コンサルタント会社の委員会運営と、子どもを育てていないような有力者委員の議論のかきまわし、市+コンサルタント会社対子ども関係のNPO出身の委員の対立などもあるようで状況は厳しい。

●政治的圧力によるNHK番組内容の改変についての問題で、NHKと中川昭一経済産業大臣が「事実がない」と一致した対応。番組をつくった当事者が、圧力があった、というものを、一部の事実の違いを指摘して批判を回避するならともかく、圧力は全くなかった、というので大丈夫だろうか。中川大臣は、政治責任として追及されるだけで、選挙さえくぐってしまえばみそぎが成り立つが、にNHKは、使い込み事件を受けて内部告発制度をつくったのに、まともな調査もしないうちに「ありえないからない」という回答のほか、朝日新聞にまで抗議してしまっている。この間の事件の反省がまったくされていない、という世論になってしまう。私はドギュメントを中心に、NHKは良質な番組を作っていると思う。この議論の展開で、民営化や完全国営化にならなければいいと思っている。
一方、今回の番組内容改変問題の内部告発者の相談にのり支えてきたNHKの労働組合、日放労の対応は評価されてよいのではないか。

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2005.01.13

1/13 ガソリン奨励金・パチンコ手当

9日の記事、「もらってうれしいけれども」で公明党の児童手当の拡大案に批判をしたが、読売新聞によると、民主党は、新潟県内で開いている影の内閣の研究会で、少子化対策のために3兆円の支出拡大を提案するらしい。内容は児童手当月1万6千円を義務教育終了まで、それだけという内容。与党と野党とで全く下品な政策競争になっている。5000円ぽっちで何ができますか、と釣っておいてわが党は16000円にしますよ、というのは30年前の選挙買収のノリと変わらない。
※16000円×12ヵ月×1年齢110万円×15年齢分=総額約3兆円

児童手当をもらった人がありがたがるほかに、何のメリットがあるのか、きちんと検証したのであろうか。パチンコに余計に行ったり、マイカーを乗り回すためのガソリン代の支払が増えただけだったら、どうなのか。こうした手当は子どもを抱えて困っていたり、それを予測して産まないという人、子ども嫌いな人にとって、何のメッセージになるのだろうか。
児童手当の拡大のように量的拡大の政策提案を見ると、提案者は、授業参観とキャッチボール以外に子育てなんて関わったことがない人なんだろうとすぐわかる。子どもを育てることはお金を稼いでくることだ、という程度の認識しかない人たちである。政治家の多くはそんな感覚なのかも知れない。落選という生活不安におびえ、朝6時から駅に立って、昼間はあいさつまわりか会議、夜は宴会や集会のあいさつ周り。それがなければ駅立ち。自分の選挙で応援してくれた他の地域の政治家に「張り付き」応援。お金は出ていくばかりで、とにかく入ってくるお金は何でもありがたい。自分で子どもを育てる余裕はないのだろう。だからといったって、有権者とコミュニケーション取ったり、子どもに関する施設や活動を視察すれば、子育て支援とは現ナマじゃないということぐらいわかるはずだ。

そもそも少子化のため、という支出のが気に入らない。ただ子どもを増やすことに何の意味があるのだろうか。今の政策の議論のベースは、少子化対策から次世代育成に変わり、この国や世界を次の世代に確実に引き継いでいくために何をすればいいのか、そういう着眼点に転換しているはずだ。、人口を増やすことより、さまざま分野・タイプのポテンシャルの高い人をどう育てていくか、ということを、障害者の自立や男女平等なんかを含めた(社会的統合なんていうらしい)ながら考えなきゃいけないのだと思う。

そんな観点に立てば、今さら少子化でお金をばらまくということは、政策効果といい、その理念的背景といい、もうめちゃくちゃで、一般的に集めた税金を、一般的にばらまくなら、最初から税金を取らなければいい話でしかないのだ。パレート最適とかいろいろな手法があるが、みんなから集めた税金を必要な政策に集中的に打ち込むから、政策効果が高まるのではないか。

民主党の議員の中には、公的社会保障に対して、ばらまきだ甘えだ、小さな政府だ、と理念だけで叫ぶ人が少なくない。しかしこういうことはすんなり通ってしまう。これこそ、最悪のばらまき政策だという危機感がない。

ほんとうに孤独な育児に困っている人たちは、お金より、人間関係ではないか。また、商業施設や飲食店がもっと子どもを連れて行きやすくなることを望んでいるかも知れない。ただお金をもらうより、お金をかけずに、子育てしている人を応援することができるのではないか。そういうことを言うのが、NPO事業や、市民が主役だ、言ってきた民主党の責任じゃないかと思う。

もう1つ、市役所、町村役場に行ってみてほしい。子ども福祉関係の職員のうち、どれだけの人が児童手当の事務に
にひきさかれているか。彼らの人件費や事務費用を考えたら、月5000円だ、16000円だ、を支給するために、納税額調査やったり、県や国に補助金申請や使途報告を行ったり、膨大な事務をやっているのか、ということが見えてくる。このことを真剣に考えてほしい。その職員が、地域社会で、子育てに悩む人や、児童虐待の救援に走り回ってくれたら、どれだけの子どもや親が肉体的にも精神的にも救われることだろうか。

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2005.01.11

1/11 母親たちのうつ病

午後から市の次世代育成支援行動計画のパブリックコメントに提出する意見書をまとめるための打ち合わせ。

隣の新座市の次世代育成支援行動計画の策定委員会のホームページを見る。新座市の計画にかける関係者の熱意、想像力の豊かな計画の内容、データのわかりやすさ、いずれも朝霞市を上回っている。今の新座市の子ども政策は当たり前のことをやっているだけで特筆すべきものはない。しかし、この計画を読むと、市民と一緒に、それを乗り越えていこうというスタンスが感じられる。策定の作業の活力も感じられる。朝霞市の中間とりまとめ案のように、精神論やお題目ばかり書かれているものとは違う。

●NHK教育20:00の「福祉ネットワーク」で、ここ2日間、母親のうつ、出産のうつを取り上げていた。育児による疲労から母親がうつになり、子育ても、家事もままらならなくなってしまう現象で、流しが独居男性の家のようになり(というおきまりの映像になるのだが)荒れ果てる。ことによっては、事態ができない夫や義父母が妻を非難し、さらに病状を悪化させてしまう、というもの。
母親うつは、ワーキングウーマンや兼業主婦より、専業主婦、責任感の強い人、感覚より知識で子育てしている人に多く発生する、という。うつ病の知識があればその通り、と思うが、こうしたことは世間的常識にはまだなっていなくて、周囲もどうして暇な専業主婦が、どうしてあの責任感の強い人が、どうしてあの頭のいい人が、ということで無理解のまま症状が悪化してしまうらしい。
その治療は私の専門分野ではないので、コメントしませんが、発生する社会的背景では、子育てしている親が社会に居場所がなく、孤立し精神的に自ら追い詰められる傾向にあることが大きいという。
親の子育て力や精神力の低下を指摘する意見が多くて、そうとも言えるが、そうだとしても、被害を受けるのは子どもで放置しておいてよいことはない。
では、子育ての社会サービスが「ない」と言われていた昔、親が責任もって育てていたかといえば、今みたいに衛生問題にそんなに神経質ではなかったようだし、子どもも多くて、かかわり続けられなかったというのが真相だろう
また、忙しい親のかわりに、子どもを近所の兄ちゃん姉ちゃんたちや、となりのおじさんおばさんたちが遊んであげたり、そんな子育てが行われていた。可愛がっていた、公的支出はないが、一種の「社会サービス」である。今の子どもと親にそんな環境を提供できるのか、問われていると思う。それが子育ての社会化、ということではないか、と思う。
市のパブリックコメントの意見書をまとめてて、この程度のことを意見してやらなくてはならない、と思う項目が多く情けなくなっていたときに、この番組見た。今の母親におかれた、追い詰められた状況がわかりやすく伝わってよい番組だった。うちの市の児童福祉課はこうした番組を見ているのだろうか。

■本日の今日も歩くのアクセス数が579件。ふだんの8~10倍の数です。お読みいただいた方、ありがとうございます。ブログ「loveless zero」でご紹介いただいたのが効いています。このブログは若年者、少子化、ニート、負け犬などをテーマにさまざまなデータや資料、他の方のブログに至るまでの記述を収集して紹介していて、資料的価値はとても高く、ときどき参考にさせていただいています。

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2005.01.10

1/10② 若者の自立を促せ

家族の友人が訪ねて来て、いろいろ雑談。その後外出する。

外は「成人式の日」なので、それらしい人たちが多い。私の成人式は、見栄張る服が用意できなくて、どうしようか考えているうちに、よだきくて、うだうだしていたら時間が過ぎて行かなかったということがあった。雪国の政令市に住んでいて区ごとの式典であったし、雪も降っていたし、まだ在住1年も経たないのに、私の住む区で知っている若者なんてほとんどいないから、行く目当てもないなぁ、なんて考えてたような気がする。

数年前、各地の成人式が大荒れに荒れて、問題になった。それなのに、なんでそんなにまでして自治体は式典なんてやるんだろうか。市長や県知事が挨拶に立つが、彼らのうち選挙に行くのは2割、しかもあなたに投票するのはその半分もいないというのに・・・。
どうせ騒がれるなら、偉い人のつまらない話のために時間をさくのではなく、どこか児童公園か広場にでも集めて、青空パーティーでもさせておけばいいんじゃないか、なんて思う。

子ども政策を考えると、その政策の効果というのは、非行に走らないとかあるけれども、一番大きいのは、一丁前のおとなとして20代をやり過ごせるか、ということなのだ。パラサイトシングル、ニート、ひきこもりなど、20代になってつまづきが取り返せなくなる前に、大人としてきちんと自立して送り出す社会や家庭にしていかないと、なんだかおかしなことになるような恐怖感がある。

子どもを教育する、ということは多くの人が口にしても、子どもを自立させる、ということぱなかなか口にされない。
たまに言う人がいると、それはサバイバルゲームみたいな話か精神修養論ばかりで、現代社会で役立つ自立と全然違うような気がしている。子どもを家からたたき出して、自分で洗濯ぐらいさせて、孤独に耐えさせる、携帯電話代の支払いより、日々の生活にかけるお金を心配するような若い人をつくることが急務だと思う。
ほんとう、大学生にもなって、入学式や卒業式に親がくっついてくるなんて、私の常識の外にある。

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1/10 子どもが嫌いな社会人たち

昨日の毎日新聞で、同社の調査で子ども生みたくない人23%という結果。加重平均の子どものほしい数は1.54で出生率よりやや上回る程度。実感とほぼ見合う結果だ。

少子化が問題になって10年経つが、この間いろいろな調査が行われ、施策が打たれてきた。その施策が当事者のニーズと全然違っているのではないか、ということも言い尽くされた話。今回の毎日の調査結果は、これまでの調査に比べ、結果の際だち方といい、答えの選択肢の設定の仕方といい、少子化対策に初めて有用な調査だと思う。

今までの調査では、なぜ子ども生まない(生ませない)のですか、という問いに対する答えに、用意された「お金がかかるから」という項目を漫然と選ぶ人が多くて、お金がかかるから子どもを生まないという安易な結論が出されてきた。ところが、お金にそんなに困らないはずの高学歴の女性があまり子どもを生まず、年収なんて概念自体がありがたいヤンキー姉ちゃんが10代や20代早々に「できちゃった婚」で子ども生んで出生数を維持している現実は、今までのこうした調査の結果と全く矛盾するものだったと言える。

そもそも、お金がかかるから、という誰でも選びそうな項目を漫然と質問に出すこと自体が、調査する側のいい加減さを感じている。多くの人は、現金をもらえることは嬉しく、払うことは辛いと答えるに決まっている。賃金体系が安定していると言われる公務員でさえ、自分の生涯賃金を計算する人なんてわずかなんだから、ましては子どもにいくらかかるなんで具体的に認識して答えている人はいない。そんないい加減な調査から昨日も怒ったが、児童手当の拡大なんていうばかばかしい政策が出てくる。
私の実感では、今の日本人のかなりの数が子どもを面倒な存在とみたり、嫌いだったりしている。そのことを吐露できるアンケートの回答用紙がこれまでなかったというべきだと思う。

今回の毎日新聞では、少子化の世論調査では初めて、お金がかかるから、が子どもをほしくない理由の1位にならなかった画期的な調査である。その理由として女性の1位が「出産や育児がわずらわしい」、男性の1位が「子どもにかかる経費や時間を自分の楽しみに回したい」36.7%という答え。経済的余裕がない、は男性も女性も2位だが、女性は1位に対して10%以上引き離している。また、「仕事続けるのに不利」は、女性が9.9%、男性が2.0%で、仕事と育児の両立が少子化対策の必要条件であっても切り札にならない、という結果になった。むしろ少子化は、大人たちが子どもが嫌い、子どもが面倒というふうに見ている今の社会を捉えたのだろう。

「お金がかかるから」と「子どもにかかる経費を自分の楽しみにまわしたい」という答えの差は大きい。お金がかかるから、の中には、お金があれば子どもをほしいと思う人と、お金があっても子どもはほしくないという人の両方が含まれる。前者と後者とでは政策の打ち所が全然違う。一方、「自分の楽しみにまわしたい」という答えは、最初から子どもを自分の人生のネガティブな要素として位置づけてしまっている、ということで、お金をばらまこうが、何しようが、どうにもならない、たとえ子どもをつくってもらっても、その子はあまり幸せな扱いを受けないだろうことは容易に想像がつく。

「子どもがほしくない」で男性が20%、女性が25%、「自分の楽しみにまわしたい」と答えた男性は36.7%で、女性は23.9%という性別の回答ギャップがあることも注目だ。このギャップの子どもに否定的な数字だけを拾っていったら、子どもを生みたい生ませたいという男女はごくわずかになってしまう。少子化を回避したいなら、少なくとも出産・育児に関してだけでも一夫一婦制ではない家族形態を制度化したり模索したりしないと、難しいんじゃないか、とすら思う。すでに新婚の2組に1組が離婚する時代に入っていて、子どもも含めた親子・家族関係で見ると、これからどんどん父母ワンペアという組み合わせが少なくなってくるだろう。かろうじて生まれてきた数少ない子どもたちが、自分の父母のほかに、お姉ちゃんのお父さんと、弟のお母さんがいて、なんて解説する時代がやってくるのは間近だ。

しかし、毎日新聞はこんないい題材をつくりながら、それをベースにした連載記事の最初が、仕事と育児の両立。どうしてそうなるのかな。

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2005.01.09

1/9② がけ地住宅の危険性

報道特集を見た。神戸近辺の傾斜地が台風と地震が複合した場合に土砂崩れが起きる危険がある、という問題に対して、県の防災工事が15%しかできていない、と県の無策を追及していた。
そうだろうか。なぜそんな危険なところが住宅開発されているのだろうか。そう考えると責任は県の防災担当者ではないと思う。土地を売ってしまえばそれっきりの不動産業者と、がけ地の景観ばっかりに眼を奪われた消費者が勝手にやりちらかして作った住宅の危険性の責任を、県に防災工事の不備になすりつけるのはどうか、と思う。
公共事業が税金の無駄遣いだ、社会の効率性を失わせている、とマスコミは散々報道してきた。砂防ダムだって、水害ダムだって、みんな危険だ危険だといいながら推進されてきた。その結果、社会が壊れるほどに公共部門の借金と、土建業者と、土木技術者をこの社会は抱え込んでしまっている。地震や水害なら別なのだろうか、昔から住んでもない好きこのんでがけ地に住んだ人も、守る必要があるのか、考えなくてはならない。
さらには、県の責任を追及するなら、がけ地の乱開発を認めたところに問題がある。そんなことのために貴重な防災予算を使わないでもらいたい。

小沢一郎が日本改造計画の冒頭で、そうした日本人の思考に疑義を呈している。小沢氏のいう自己責任論を一概に肯定することはできないが、少なくとも、がけ地での災害なんて毎夏台風のたびに起きて、その被害は十分報道で共有されていて、行政の責任に押しつけることは適切ではない。
首都圏もバブル期に、高級住宅地と称して、神奈川県などのがけ地に多くの住宅開発が行われた。問題はこれから起きてくる。

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1/9 もらってうれしいけれども

公明党が児童手当を小学校6年生まで拡大させる、という方針。多分連立政権で選挙以外は譲歩し続けている公明党のことだから、これぐらいは本気で取りにいき、ある程度は実現してしまうのだろう。
児童手当をもらう方は嬉しいが、「少子化対策」や「子育て家庭への支援」など政策的効果は疑問だ。ギャンブルやアル中で崩壊している家庭など、この5000円はアル中促進、ギャンブル経営支援にしかならないだろう。

こうした祝い金的なばらまき政策で思い出すのは、かつての高齢者祝い金だとか、金杯をプレゼントだ。そういうことをする自治体がかつてはたくさんあって、「高齢者を大事にしています」というメッセージを出していたけど、実際には元気な高齢者が、もらったときだけ喜んで、ほんとうに困っている高齢者やその家族には、介護地獄だとか、親族間の介護の押し付け合いという言葉があったように、扱いかがひどかった。でこの政策をやめようとすると、地域の老人会の元気な幹部が「あいつらの世代までもらえて、俺らの世代からもらえないのはおかしい」なんて言ったりして、市議なんかに元気良く圧力をかけたりすることもあって、ほんとうに始末の悪い政策だったと思う。

今、子どもが少なくなって高齢者が増えて、社会のシステムも団塊の高齢者や子どもを産まない若い世代ににあわせた仕組みに変わりつつある中で、子どもやその家族は社会のマイノリティー的存在になっている。社会サービスはともかく、職場のシステムも、消費施設も、娯楽産業も、公共交通機関も子どもや子育て家庭のニーズを後回しにしてきている。
そうした子どもや若い世帯への応援として、月5000円程度のお金をあげても、主体的な力になりえないという意味では、まったく意味がないし、総額8000億円※近い財政の無駄遣いというマイナス面しか出てこない。
※大ざっぱな計算ですが月5000円×12ヵ月×1年に産まれる子の数110万人×12歳分=7920億円

もう1つ考えなくてはいけないのは、児童手当の拡大の裏側で、母子家庭に対する「児童扶養手当(紛らわしい)」が月4万円程度出されるが、ただでさえ低い支給対象となる所得要件が毎年のように厳しくなっている。どうしてこういうむごいことするのか、というのは、裏側に離婚した奴が悪いという価値観があるからだ。しかし母子家庭は好きで離婚した家庭だけではない。死別もあれば、一方的な離婚もある。また最近ではDVがらみでの離婚だってある。好きで離婚したという場合も、子どもの精神衛生を考えれば結婚を継続しないほうがよい家庭もある。価値観でこうした給付カットをやっても、母子家庭の子どもの生活水準や社会にトライしていく機会を奪うだけで、単なる人権侵害にしかなっていない。
※母子家庭への補助金「児童扶養手当」は削減の始まった2003年度予算で2500億円程度。

では「母子家庭は自立しろ」、、という方向に政策を進めている政府が、母子家庭に対する就労支援をやっているかというとほとんどやっていない。民間の職業紹介だって、母子家庭なんて門前払いか、登録した人から技術教育料を集めることが目的の業者ばかりだ。かろうじてハローワークが差別なく対応してくれるが、積極的な対応となると大きなハローワークに個人的努力でそういう取り組みしている職員がいる程度でシステムとしてはできていない。

もっというと、父子家庭なんて全然政策の光が当たっていない。ひとり親への支援は母子家庭のこの手当金だけである。

そういうほんとうに所得保障が必要なところを削っておいて、母子家庭なんかよりずっと恵まれている家庭に月5000円ぽっちばらまいて何になるのか、さらにお金がそれほどかからなくなる義務教育課程の家族にまで広げようというのだから、政策としての効果が何だかわからない。

公明党は以前、少子化対策臨時交付金という自治体への保育施策に対する交付金制度を創設した。これによってやる気のあった自治体は待機児童問題は緩和されたし、保育園ばかりではなくて、専業主婦への相談事業なども相当前進した。私は、規制緩和一辺倒の当時の民主党の保育政策や、女性の社会参加という視点しかない社民党の保育政策などと比べて、確実に政策の効果があるとして、さすがは平和論争ばかりにうつつを抜かしている社会党が手をさしのべない支持者の相談を熱心に行ってきた福祉の公明党と思った。しかし児童手当の拡大一辺倒の最近の公明党の政策を見ていると、本当に困っている人を直視できなくなっているなぁという感じがしてしまう。

私は所得保障という明確な視点がない限り、ほとんどの福祉施策は現物支給に絞るべきだと思う。福祉目的で現金を支給しても、そのお金がそれぞれの家庭で目的にかなった使い方をされるインセンティブはない。
子育て世帯に所得保障を行いたいのであれば、第1に雇用政策や労働政策、経済政策を何とかすべきではないか。それでも苦しいひとり親家庭とか、親が就労不可能な家庭には、もっと大胆なお金のばらまき方をすべきだと思う。

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2005.01.08

1/8 ごみリサイクル

正月、年始のあいさつばかりで世の中が本格的に動かないせいか、記事集めが厳しいのかもしれない。新聞各紙、自治体アンケートが目立つ。朝日は家庭ごみ有料化の調査、毎日は防災対策の調査。

ごみ有料化に対して私の考えは微妙。マンションのごみステーションどうしたらこんな量になるの、と言いたくなるほどごみを出す人がいる。それを市民が等しく払う税金で処理しているなら、出したもの勝ちの無料収集に問題感じないことはない。一方で、有料化すれば、公徳心の悪い住民は、不法投棄を始めたり、駅やコンビニなどの公共の場のごみ箱に捨てるようになる可能性も大きい。リサイクルの拡大や、本格的なデポジット制の適用品目の拡大とか、そういうことを併せてしなければ、違うところで負担が増えるだけになる。

一方、最近ちり紙交換を見かけなくなった。昔は資源ごみをリサイクルするのはこうした民間草の根の業者がやってきたが、バブル時代に、そのシステムを維持するコストが割高になったり、もっとおいしい仕事が増えてシステムが崩壊した。その後は、資源ごみのリサイクル収集は自治体がほぼ独占している。ところが、最近再びホームレスだった人たちなどが草の根リサイクル事業に進出し、各地のごみ捨て場から資源ごみを集めているが、これが自治体の業務と競合してトラブルになっている。杉並をはじめとなりの新座市でも、そうしたごみの抜き取りを規制している。
私はこのことこそどうかと思う。郵便事業が民業を圧迫しているのかどうか、本当のところは知らない。しかし杉並や新座の自治体のごみ収集の独占は、それこそ最下層労働者の仕事を奪う民業の圧迫ではないかと思う。リサイクルをシステムとして組み込むためには、横取りされてはかなわないというのもわかるが、それならこうした草の根リサイクル業者をコミュニティービジネスとしてきちんと自治体が制度の中にくみこむようなことが考えられないものなのだろうか。

●勢いにのって、以前買ったて、荷宮和子の「若者たちはなぜ怒らなくなったか」を読む。ガンダム、宝塚をたくさん引き合いに出すので、私には理解不能で投げ出していた。今どきの20代は同調志向が強く、体制から押しつけられたものを受け流すことしかできない、その憤懣はネットでのさらに弱い人たちへの罵詈雑言や暴言でバッシングすることに転化されている、という話に同感。また、最近の若い労働者に「教えてくれれば努力したのに」という考え方に怒っているのも同感。でもこれは最近の中年もじゃないかな、と思う。昨日の「フェミニズムの没落したか」よりくびれ世代礼賛で、ちょっと食傷気味。でも面白い。
同調志向が強い、というのは昨年の今頃、労働組合に若い人を参加させるハウツー記事つくるのに、千葉大学の宮本みち子教授にインタビューした際に指摘された。いじめだ何だと子どもどうしがぎすぎすした時代に育っているらしい。宮本教授いうには、ゼミでも絶対自分からは発言しようとしない、アイスブレイキングにものすごく手間がいる、というような話をされて、人のために怒ったり、みんなで問題共有して解決するなんて一番苦手なことで、自治会が当局の期待以上に簡単に崩壊したのと同様に労働組合には厳しい時代が始まりますよ、というお話しをされた。

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1/7 おやじギャルの生き方に学ぶ

だ・である調が威張っているような感じがしないかと、新年からです・ます調に変えましたが、どうも文体がゆるむので、だ・である調に戻します。

今日は、家事をしながら、朝霞市の次世代育成支援行動計画のパブリックコメントに提出する意見書をまとめる。先日、市内のいろいろな子どもに関係する方に集まっていただいて議論をしていただいたことがよかった。改めて市のホームページで募集要項を確認したら、コメントに逐一回答する義務はないものと了解してほしい旨の前書きが書かれていた。
仕事で、厚生労働省のパブリックコメントに何回か意見を提出したことがあったが、厚生労働省は寄せられた意見をを詳細に分類して、それに対してどのような回答をしたか、きちんと公開していた。意見者が少ない場合は、ほとんど挙げた意見に対してコメントされていた。
朝霞市のこうした逃げの姿勢に、問題を感じる。

●9時頃寝てしまい、寝るべき夜になって寝られずに、荷宮和子「なぜフェミニズムは没落したか」を読む。働かない男が出世をすることを批判するフェミニズムっぽい女性はたくさんいるのに、彼女らに決してフェミニストは受け入れられなかった理由を、上野千鶴子(フェミニスト代表)、林真理子(フェミニストっぽい人代表)、小山田ノン(おやじギャル主人公で80年代就職世代代表)を対比させながら進む。一所懸命働く女より働かない男が評価される男社会の不当さに頭来ている人は多い(上野+林)のに、フェミニストが没落したのは、フェミニストが女がしたいことをする、ということに対して一般社会で受け入れられたり、居場所をつくったりすることをせず、象牙の塔の中で男社会の行動様式そのままでやってきたから拒絶されているのだ、という指摘にうなづく。私の職場である労働界の女性運動も、そうした葛藤が激しいのでよくわかる。
フェミニスト台頭の中で育った世代を説明するなかで出てくる80年代に就職した世代「くびれ世代」ですが、彼らが仕事に貪欲だわ、後輩を叱咤したがるわ、よく飲むわ、というメンタリティーもよくわかった。私は、どうも荷宮さんのいう、ダメな団塊ジュニア世代らしい(親は旧価値観の強い人で団塊じゃないし、私自身、団塊ジュニアのアンニュイさは苦手なのですが)。やりたいことのために、ふんばりが効かないところはその通りです。
著者が、差別は許せない、戦争は反対、ナショナリズムは嫌いだ、と書くだけで自分に収入が入るような社会でいいのか、と省みながら、今の停滞した社会の陰湿さを抜け出すために、80年代の女性たちのようにしたいことをする、他人のことなんか構っていられない、という価値観こそが大切というのはその通りだと思った。

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2005.01.07

1/6 運賃の改善を求めて回答が届く

定期券だけですが、今年の春に東上線は値上げをします。以前、この場で、東上線と有楽町線の地下鉄の相互乗り入れの運賃が、ルートによって違いすぎるなどと運用面の問題点を指摘しましたが、東武鉄道のホームページで利用者の質問を受け付けてくれているので、値上げもあり、運賃についてどう検討しているのか質問しました。本日、回答が来ましたので、ご紹介します。

質問は4点。
①東武と地下鉄で1枚の回数券はないか(今は別々に買わなくてはならないため、面倒なのです)。
②定期券のルートを固定するのではなく、東武まわりでも地下鉄まわりでも共通の利用が可能な定期券を検討できないか(和光市から東上線・地下鉄それぞれで東京に向かうといずれも池袋駅を通るからです)。
③東上線の切符と地下鉄の1日乗車券がワンセットになった切符を検討できないか(小田急が始めています)。
④地下鉄の直通切符売り場の運賃表を、有楽町線の駅だけではなく、東京地下鉄全線の駅の運賃を表示できないか。

東武鉄道の回答は、
①については、各社ごとの発売で、各社とも実施していないという自己完結型の回答。
②については、運賃の計算方法が乗車距離ごとになっていてそれを会社別に合算しているので発売はしない。
③については、各種商品について検討していくなかで参考にしたい。
④については、「連絡運輸」をしている駅のみ案内している。
という内容。
③以外は、こうなっているからこうなっている、という一段論法で、答えになっていないと思います。
最後にご愛顧を求められました。

今は公務員でさえ、お客様お客様というような時代になっているにもかかわらず、鉄道会社はこうした木で鼻をくくったような回答を平然とします。大手私鉄は巨大システムで成り立っている商売ですから、簡単に前向きな回答がされるとは思っていませんでしたが、そういうことを検討したいけど無理なのか、可能性があるけどまだまだいろいろな問題があるのか、そういうことを伝えてほしかったと思うのです。それがそうなっていないからやらない、という納得性のまったくない回答はどうか、と思うのです。

私は、有楽町線と東上線が直通し、通勤地獄はかなり緩和されたと思いますし、都内に出るルートが複数メリットもあったと思います。しかし、切符の売り方が乗客にとってわかりやすくなければ、乗客の乗り方にあわせたものでなければ、ほんとうの相互乗り入れにはなりません。鉄道会社にしてみれば何でもないことですが、利用者にとっては面倒でそこから公共交通離れを起こしている場面は多いと思うのです。

私鉄はこれまで、安かろう悪かろう経営で、客に犠牲を強いて経営を成り立たせてきました。それは経済が成長し、その成長以上に土地価格が高騰し、自らの会社の土地を高く売りながら、乗客の通勤距離をどんどん郊外に伸ばしてきて儲けを増やしてきたからです。客は、今ここで土地を買わないと、もっと土地は高くなり、もっと郊外に行かなければ家が持てなくなって遠距離通勤になる、という社会状況におかれ続けてきたからです。ところがバブル崩壊とデフレで今は逆になっています。ベースとなる勤労人口はこの先どんどん減ってきます。さらには地価が下がり、日常の娯楽、少子化で勤労者に重くのしかかる介護や保育の都合から通勤距離も短くなる傾向がより一層続くことが考えられます。実際、今でも私鉄は乗客を毎年じりじりと減らし続けています。
さらに利用者は神様扱いされてきたわがままな消費者が中心になっています。「注文の多いレストラン」のように乗客に負荷をかけ続けるような商売をしている電車に今どきの消費者がいつまでもつきあうのか、疑問に思っています。実際、首都圏もマイカー利用者は増え続け、マイカーという競争相手に勝てなくなる可能性もありえます。
そういう状況をふまえれば、利用者と商売人としての鉄道事業者とのコミュニケーションは重要だと思います。

私としては、今後も東上線と有楽町線の直通に関する運賃制度の改革に向け、いろいろな機会で働きかけを行っていきたいと思います。

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2005.01.05

1/5 待機児童ゼロ作戦の評価

朝霞市次世代支援育成計画のパブリックコメントに提出する意見をまとめるために、自宅で市内の子育て政策に意見をいいたい人に集まってもらい、文章を作成する作業を行う。

毎日新聞の政治欄「拝啓小泉さま」第1回が自民党の野田聖子さんで、「少子化対策なっていません」という題の文章が面白い。
政府の少子化対策がどうしてダメなのか、実感にもとづく文章ながら的確に指摘しています。
小泉首相も保育所さえ入れれば女性が出産・育児と労働や自己実現を両立できる、そうすれば少子化は回避できる、という前提に議論していることを間違いと指摘しています。首都圏・大阪・兵庫・沖縄以外の地域では、保育所は余っていて(そういう状況にありながら保育所の定員に対する入所者の比率が90%を超えていることはどれだけ首都圏・大阪・兵庫・沖縄の保育所が逼迫しているか、という証明でもある)、そこで少子化が進んでいるという現実と矛盾しているのです。
この小泉首相の「待機児童ゼロ作戦」という政策、そのスローガンは、仕事と育児の両立のために大切なのですが、少子化対策として正当化されるにあたって、だんだんゆがんだものになっています。ここ数年の保育所制度の改革は、規制緩和委員会(現在の規制改革会議)を中心に議論が進められました。そこでは、規制緩和さえすれば保育所待機児童問題は解決し、少子化の解決と男女共同参画社会が一気に実現するという神話が常に主張されてきました。

しかし結果は、都市部で満員電車状態の保育所、地方では止まらない少子化という現象がますます拍車がかかって、結局何にも解決していないと思うのです。男女共同参画にしても、本質的に変わったというより、男の所得が下がり続けるから、男が女を家庭に引き留める理由がなくなったというのが実態です。保育所が増えようが増えまいが、進んでいる現象と言わざるを得ません。

この「待機児童ゼロ作戦」はそもそも筋が違っていると言わざるを得ません。もとよりある程度正確な予測ができていた厚生労働省保育課が、①国債費②公共事業③厚生労働省内の医療④薬⑤高齢者福祉⑥障害者福祉の順に予算がぶんどられていく中で、言葉が悪いですが、小泉首相のこの考え方に悪のりしてまとめられた「作戦」とも言えます。これによって保育課は、いくばくかの予算増を勝ち得ましたが、抜本的な待機児童問題が解決されるような金額とはなりませんでした。

そもそもの作戦を打ち出した小泉首相が狙っていたのは全国の公立保育所を民営化しよう、という思惑でした。その背景には規制改革会議の動きがあって、会長の宮内義彦オリックスCEOと八代尚宏上智大学教授が、保育所を民営化して競争原理を導入すれば保育所が良くなる、という理論のために公立保育所不要論を全面展開したことにあります。2人は規制緩和委員会や規制改革会議に、現在あちこちの自治体で民営化された保育所の受託企業になっている大手のベネッセや、ポピンズなどの経営者を繰り返し呼び、彼らの意見を一方的に採用し、厚生労働省ばかりか、保護者団体にまで口汚い批判を浴びせ(私の労働組合も保育所が良くならない主犯扱いされました)、保育所の企業運営化のためにだけする議論を続けてきました。マスコミも、東京の苛烈な待機児童問題の実感だけで書く記者しかいなかったので、どうしても規制改革会議の考えを鵜呑みにする一方的な書き方になってしまっています。

民間企業のほうが競争して良くなるという理屈には、一概に間違いとは言えません。しかし、待機児童問題の最大の原因は大都市部の施設不足です。これは土地取得から考えると民間の努力でどうなるものでもありませんので、民営化では解決するというものではないのです。公益事業で大きな設備投資が必要な鉄道、道路、郵便、電話なども同じで、最初に政府部門がきちんと投資しないと、全然設備投資がされません。JRと私鉄の線路の立派さを比べるとわかります。こうした小泉構造改革の民営化チチンプイ神話で結局待機児童問題は解決せず、自治体の自己満足的な民営化だけが行われています。

私の住む朝霞市も例外ではありません。昨年、保育所1園を大手の株式会社の保育業者に委託しました。ふつう自治体の事業を委託する場合には、様々な面から妥当性や、委託後の事業の内容について検討し縛りをかけるものなのですが、満足な検討がなくあっさり委託されてしまいました。マニュアルが整備されてきれいな保育はされているようですが、保育士はしょっちゅう入れ替わるし、秘密が多く、よくわからない運営がされているようです。福祉のように地域に対する責任の高く人と人との関係性のなかで営まれる事業を委託するには、私は地域から逃げられないNPOや既存の保育所を運営している団体に委託するのが望ましいのですが、市役所もコンビニ感覚です。そこで、全国屈指の待機児童問題が解決したかというと、全く解決していません。

2人の政府委員の勝手な理屈、それに期待した民間大手の保育事業者、それに踊らされた小泉首相、それにエールを送る、保育所と喧嘩ばかりしてきたキャリアウーマン出身の評論家たちが、有権者のニーズとは全く異なるトンチンカンな施策を展開し、ちっとも問題解決が図られなかったと言わざるを得ません。一方で海千山千の保育所が増えていると言えます。

少子化の問題解決のためには、こうしたためにする議論を排除しなければなりません。そのためには、子ども政策全体のプライオリティーを上げていく必要があります。いつまでも親の自助努力の延長に政策を位置づけて、子どもや子育てしている親に損な役回りばかりを押しつけていては子どもを産み育てるということにプラスのイメージが描けません。その上で、子育ては親と社会との協力で進められるものだ、という全国民的合意をつくることが必要です。個別の政策を打つには、かつて子育てした人たちではなく、現に子育てしている当事者の声を聴く、子どもの声を聴くということが大切になります。

ところが、子ども関係の団体って、なかなかシンプルなところが少なくて、伝統的なところは調査能力があっても政治的思惑が強すぎるし、新興勢力はエキセントリックなところが多く、本当に困った話ということを全国的な水準で話すことが不可能なところが多いのです。

そんなことを考えて、今日も作業していた私ですが、毎日新聞の野田聖子さんの切り口。とてもよいと思います。念願の子どもが授かることをお祈りしていますし、こういうまともな議論がちゃんとできる政治家がもっと増えてほしいです。特に子ども政策の分野は。

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2005.01.04

1/4 6年目の約束

今日は、高校のときの友人であり同級生の6年目の命日です。
その友人は、学校教育にそりが合わず、親御さんが悪戦苦闘した末に、よりましかと思いながら、私の母校にたどりついて入学させたのですが、彼の担任がまた自由を標榜する学校にあってはならないような強権的かつ恩着せがましい体育教師で、そこでも彼とその親御さんは悪戦苦闘するはめに陥りました。
彼はイリイチの脱学校社会の云々という本を読み、学校教育に絶望し、仕事に見いだし、当時、やっと庶民が使い始めたワープロやパソコンを駆使して、高校生にしては、というような仕事をしていました。
やがてその能力は開花し、中堅企業の販売管理や生産管理のシステム構築などをするようになったのですが、仕事で認められることの大切さに中毒のようになって、激務に激務を重ね、1つの大きな仕事を終えた後、入院し、知らされお見舞いに行きましたが、すでに意識を失い、5日後、帰らぬ人となりました。

私は、埼玉の世間知らずの中学生から高校に入学して、その同級生の読書量に圧倒されて、とにかくその10分の1だけでもついていくのがやっとでした。彼は、仕事が一段落つくとときどき学校にやってきて、学校に不満たらたらの活動ばかりしていた私にいろいろサジェスションしてくれましたし、読書の道案内もしてくれました。私の尻を叩くような存在だったので、亡くなって、これから自分で緊張感を持っていかなければならないんだ、と師匠を失った弟子のような気分になったことを思い出します。

しかし、のちに再度ご自宅に弔問した際に、お母様からお願いされたことがありました。その亡くなった同級生へのメッセージをみんなに書いて集めてくれないか、というお願いでした。未だに果たせていません。苦労に苦労を重ねて育てた息子さんが、楽しそうに人生の道をみつけて軌道に乗ったなぁ、と思ったら亡くなった無念と寂しさは相当なものだったのだろうと思います。そろそろ、気持ちに応えなくてはなりません。

●名古屋市長選挙で河村たかし衆議院議員が立候補する動きを見せていましたが、断念したようです。よかったのではないかと思います。
河村たかし議員は、インテリや理屈こきが多い民主党の中で庶民性が売りの面白い議員です。彼の地をはいずるような努力の姿勢は評価したいのですが、ともすれば、他人の生き方にもそれを強要するような主張が多く見られます。そういう努力をしなければならない人や時というのはありますが、誰もがいつでもそんなことを続けることはできないと思います。政治が苦労と努力を強要するのは、危険な例さえあります。社会は多様です。そういう人が市長となって名古屋を支配する、ということが適切なのかどうか、冷静に考える必要があります。
それより、だんだん官僚的になって(いままでがむちゃくちゃだったのでそれでいい面もいっぱいあります)民主党で風穴を空ける存在であり続けるほうが商品価値があるのではないかと思うのです。

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2005.01.03

1/1 身体介護

世の中、お正月しか休みがもらえないほど忙しい人がいるので、そういう人には申しわけありませんが、私はお正月は苦手です。片づけが苦手で、それができなければ掃除も始まりません。そうこうしているうちに家族ともめたりもします。そんななかですが、年賀状だけはほんとうに楽しみですし、ありがたいものです。

午後から祖母宅に訪問。87歳になる祖母ですが、記憶以外はしっかりしていて、ほっとしました。散歩の介護をお願いしているようなのですが、気が向かないとホームヘルパーさんを「今日は用がありませんから」と帰してしまうようで、本人のためにも、ヘルパーさんのためにも、ちゃんと散歩に行くよう、お願いしてきました。

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