1/4 6年目の約束
今日は、高校のときの友人であり同級生の6年目の命日です。
その友人は、学校教育にそりが合わず、親御さんが悪戦苦闘した末に、よりましかと思いながら、私の母校にたどりついて入学させたのですが、彼の担任がまた自由を標榜する学校にあってはならないような強権的かつ恩着せがましい体育教師で、そこでも彼とその親御さんは悪戦苦闘するはめに陥りました。
彼はイリイチの脱学校社会の云々という本を読み、学校教育に絶望し、仕事に見いだし、当時、やっと庶民が使い始めたワープロやパソコンを駆使して、高校生にしては、というような仕事をしていました。
やがてその能力は開花し、中堅企業の販売管理や生産管理のシステム構築などをするようになったのですが、仕事で認められることの大切さに中毒のようになって、激務に激務を重ね、1つの大きな仕事を終えた後、入院し、知らされお見舞いに行きましたが、すでに意識を失い、5日後、帰らぬ人となりました。
私は、埼玉の世間知らずの中学生から高校に入学して、その同級生の読書量に圧倒されて、とにかくその10分の1だけでもついていくのがやっとでした。彼は、仕事が一段落つくとときどき学校にやってきて、学校に不満たらたらの活動ばかりしていた私にいろいろサジェスションしてくれましたし、読書の道案内もしてくれました。私の尻を叩くような存在だったので、亡くなって、これから自分で緊張感を持っていかなければならないんだ、と師匠を失った弟子のような気分になったことを思い出します。
しかし、のちに再度ご自宅に弔問した際に、お母様からお願いされたことがありました。その亡くなった同級生へのメッセージをみんなに書いて集めてくれないか、というお願いでした。未だに果たせていません。苦労に苦労を重ねて育てた息子さんが、楽しそうに人生の道をみつけて軌道に乗ったなぁ、と思ったら亡くなった無念と寂しさは相当なものだったのだろうと思います。そろそろ、気持ちに応えなくてはなりません。
●名古屋市長選挙で河村たかし衆議院議員が立候補する動きを見せていましたが、断念したようです。よかったのではないかと思います。
河村たかし議員は、インテリや理屈こきが多い民主党の中で庶民性が売りの面白い議員です。彼の地をはいずるような努力の姿勢は評価したいのですが、ともすれば、他人の生き方にもそれを強要するような主張が多く見られます。そういう努力をしなければならない人や時というのはありますが、誰もがいつでもそんなことを続けることはできないと思います。政治が苦労と努力を強要するのは、危険な例さえあります。社会は多様です。そういう人が市長となって名古屋を支配する、ということが適切なのかどうか、冷静に考える必要があります。
それより、だんだん官僚的になって(いままでがむちゃくちゃだったのでそれでいい面もいっぱいあります)民主党で風穴を空ける存在であり続けるほうが商品価値があるのではないかと思うのです。
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