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2005.01.18

1/18 手堅い市政の終焉

午後、地域福祉計画策定市民委員会。今回は各委員の個人的な問題意識について話す。これまで作業に追われ委員の個人的な問題意識を話す場がなかったのでよい機会でなかったかと思う。

朝霞市長選挙に富岡氏が立候補声明。下馬評では最有力候補、というより対立候補が共産党しか聞かない。富岡氏は米軍朝霞キャンプ跡地開発と、朝霞駅の再開発が公約。あと60歳以上の人材のNPO活用と乳幼児医療費の立て替え払い制度の廃止(病院での窓口無料化)など。

朝霞市は、米軍跡地があるために、そこに大規模な公共施設が相次いでつくられてきた。市長選挙のたびに、新人候補からは公園開発がテーマとして掲げられている。これは朝霞市内に数多くある造園業者の圧力によるものと考えられる。新幹線も、高速道路も、地下鉄も、一度作り出すと、次々に同じ物をつくっていかざるを得なくなる、ということは、新藤宗幸「技術官僚」に書かれている。朝霞市の場合、それが公園建設なのである。しかし、キャンプ跡地は国有地で、市のものではない。今までの施設は大蔵省時代の無償貸与の土地で国の補助金が出る施設ばかりつくってきたが、今の財務省の方針では、土地の無償貸与はありえない。買い取りにならざるを得ない。跡地を市が開発すれば、そのまま市の財政を痛めつける。保育所の待機児童問題、介護施設の不足、市はやることはいっぱいある。使われない施設のためにキャンプ跡地を開発するのは市民のために何にもならない。代案として、住宅開発というのもある。しかし、保育所も学校も整備しないで、これ以上の人口増加を促す政策はやめてもらいたい。

NPOが60歳以上という発想も、悪いことではないが、あえて年齢を出すところにずれを感じる。若い人が多いこのまちで、いろいろな地域の活動に参加してもらうか、ということを考えなくてはならないのに、地域活動は60歳から、というメッセージを出すことはデメリットになりかねない。今でも町内会長さんたちの長老ぶりに、感覚のずれを感じている。
乳幼児医療費の病院の窓口無料化も、安易な病院利用を促してしまうのではないか。それでもやる意味があるのだろうか。高齢者の医療では、無料だった時代に、ほんとうに病院を利用しなければならない重度や慢性疾患の患者の診察が手遅れになる弊害があることは、あちこちで指摘されてきて、医療制度だけ優遇する制度設計はよくない、というのが社会の合意になってきた。子どもの場合も同じことが言えないか。払戻方式の無料制度の今でも、ひとたびインフルエンザが流行すると、3時間待ちということがあちこちで起きている。
既成概念を何も変えない思いつき政策は、何か歪んでいるような感じがする。

現職の市長は、歴代の市長より、手堅く市政を進めたと思う。何もしない渡辺市長時代、右寄りイデオロギーの岡野市長に比べ(朝霞市38年の歴史で市長はこの3人しかいない。しかも岡野氏は1期だけ)、福祉も環境政策もNPO育成も、ようやく、よその市なみに市役所が仕事をするようになった。その市長がいなくなることに不安を感じる。塩味市政までは学校で色模造紙1つ買ってもらえず、先生たちが立て替えていたというような話を聞くぐらい、財政健全度しか誇れるものがないぐらい、ひどい市政だった。

政治的には、先回の市長選挙では塩味氏を代議士だった上田氏がひきずり降ろそうとし、対立候補を擁立した経緯から、上田直系の富岡氏が最有力候補となることは、不安を感じている。
先回、塩味氏の対立候補は、初代渡辺市長の息子の渡辺利昭氏(故人)だったが、渡辺氏は、大規模公園2ヵ所の建設と、市の規模に比べ派手になっている市民祭りのさらなる活性化だった。ローマ帝国が滅ぶパンとサーカスを思い浮かべざるを得ないような公約だった。

富岡氏は、自民・公明に加え、民主にも推薦を申請するらしい。民主党代議士だった上田知事の直系の自民党県議だったので、そのあたりのねじれ癒着みたない関係がここに表れている。

大事なのは対立候補だと思う。しかし共産党ぐらいしか声が挙がってないくて、選挙の行方が心配。共産党じゃ変える力はない。もっと朝霞の保守政界よ、荒れなくていいのか。

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コメント

これまで全く政治の事に関心のない私でした。
でもここ数年、朝霞というまちに住み、地域に目を向け始め、地域活動をし、未来ある子ども達のために私ができることがあれば、何かやっていきたいと思い、これまでは苦手な分野と思っていたところにも関心をもつよう意識してきました。
苦手だし、もともと関心もなかったので状況を把握する事も、理解する事も私にとっては大変な作業です。いくらがんばっても、わからないことはわからない、というのもあります。

朝霞の市長が変わる事になりました。
こんな右も左もよくわらない私でも、「不安だな~。大丈夫かな?」と思います。

私には子どもがいます。
生まれてから今日まで、ずーっと朝霞で子ども達は生きてきました。これからもしばらくはこのまちで成長していくことでしょう。
おもいっきり遊びたい年頃に、道路事情、遊び場事情、社会事情(安心して子どもだけで外に出しにくい・・状況)の悪さのために、その経験を大手をふって経験させてあげる事が出来ない苦しさ、悲しさ、申し訳なさ・・・
それを親として、ひとりのおとなとして常日頃感じています。
少しでも子ども達がこどもとして必要な、大事な体験ができるよう、地域活動を通してがんばっているつもりだけど、なかなか報われない事が多いです。

新たな市長さんになるかもしれない候補者に訴えても、わかってもらえない無力感を感じてしまいます。本当になさけなく、悲しい気持ちになります。

どこかに本当の意味で市民の声によりそい、
特に子ども達のことを考えてくれる候補者はいないのでしょうか?
そんな人がいてくれたら、私は心から応援するのに。。

先行きは不安なことばかり。。
でもいつまでもめそめそもしてられないので、
最後はやっぱり前を向いて歩き始める私です。
自分ができるところから、少しずつ、
こどもたちのために、これからもずーっと
細々とでも活動していきたい、行動していきたい、
と思います。

ついコメントを書きたくなってしまいました。
失礼致しました。

投稿: GAOさん | 2005.01.19 21:31

コメントありがとうございます。
市長は住民に直接関係しますから、国会議員以上に生殺与奪のある立場とも言えます。そういう意味で大切な選挙なんですが、出るほうも、投票するほうも、どっちらけで、あまりまじめに考えにくい環境ですよね。
とくに子どものことは、「天下国家の話」になりにくいし、政治に関心持つ人に真剣に考えてもらいにくいという、不毛なところもあります。
選挙権のない子どもたちのことは、残念なことに大人がかわって考えていかなきゃいけないのですが、悲しい選択肢しかない場合がほとんどです。
また少子高齢社会になると、子どもと親、子ども関係者は政治的にますますマイノリティーになります。
子どもと親と子ども関係者がどのように市政にかかわっていくのか、問われているのかなぁ、と思っています。

投稿: 黒川滋 | 2005.01.19 22:35

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