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2004.11.30

11/30② 生きてきた証

無認可保育所の情報を集めたり、あるいは、無認可保育所の前を通ると、英語の授業が売りになっているところが多い。市場原理の競争保育が始まると、質が高まるというが、誰にとっての質ということについて考えさせられる現象だ。

確かに21世紀、国際化云々とあるのだと思うが、英語の早期教育は、体系化されない教育だし、日常的に使っていかなければ忘れてしまうものらしい。もっともっと何語でもいいから、コミュニケーションそのもの、つまり遊んで、失敗して、それを反省したり、許してもらったりしながら、学んでいくもののほうに時間をさいたほうが良さそう。

●札幌でバリアフリーの運動をされ、福祉情報誌の編集長をされている我妻武さんと参議院議員峰崎直樹さんから、「喪中のため~」はがきを頂戴しました。
2人に共通するのは型どおりの喪中のあいさつではなく、故人とのかかわりや思い出を伝えてくれるもので、気持ちが伝わってきます。こうしたかたちの喪中はがきは、送っていただいた方との人生観が伝わってきて有意義です。今後、こういうかたちの喪中はがきが増えるのでしょうか。
我妻さんは、愛してくれたおばあ様の死去にともなうもので、障害をもった我妻さんを応援し続けた思い出がつづられていました。
峰崎さんは、家族同様可愛がられていた愛犬ロッキーが先日お亡くなりになったことによるものです。毎年いただく年賀状では家族の一員として記され、選挙のときの候補者の人柄紹介では存分に活躍された犬です。選挙を控えた1月に倒れ、何度も危機になっても乗り越え、選挙の勝利を見届けてくれたエピソードがつづられていました。
我妻武さんは、私が「道はだれのもの?」という交通を考える市民運動をしていたとき、バス業界や、バスマニア向け雑誌と共闘して、ノンステップバスの導入を促す取り組みをされていたお話しを聴きにいったことがきっかけで知り合った方です。
峰崎直樹さんは、民主党でも数少ない経済財政通の議員で、労組で長く政策畑を歩み、政界に転身された議員です。自社さ政権ができたときに、それを問題に感じた私が、当時社会党議員だった峰崎さんに半ば糾弾するように議論したことがきっかけで交流を持つようになりました。労働組合による自らの職場改革運動の意義を話され、それに感化されて、労働組合の職員になってもいい、と思うようになったきっかけの方です。

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11/30 ツバメ・ブランド

新潟県燕市の商工振興課を取材。
朝早く出て、新幹線、代行バス、新幹線、タクシーと乗り継いで、昼前に到着。

時間が1時間近く余ったので、燕市の産業史料館を訪問して資料写真を撮影。
かえりがけに学芸員の斉藤さんがお茶を出してくださり、お茶を飲みながら、いろいろ興味深い話を聴く。
燕市は、元禄時代に銅釘の産地としてスタート、やがてキセルや、を生産。そして明治維新とともに、金属洋食器産業として展開していく。戦時中には、金属洋食器が禁止されたので、航空機部品などの軍需品の生産をし、戦後再び金属洋食器の生産に戻ったという、何度となくしなやかに危機を乗り切ってきた、工業都市だということ、一方で、実用品ばかりつくってきたので、技術があるのに芸術的なものをつくることになかなか眼が向かない、という悩みも話された。戦時中に国家総動員法の金属徴発があったので、歴史的な金属製品が残っていないのも悩みのよう。

市役所では商工振興課の赤坂さんにお話しを聴く。
こちらはうってかわって元気がいい話。デフレで痛めつけられている燕の地場産業がどうふんばっているのか、なんてテレビ番組的なステロタイプな絵を描いて取材に臨んだら大間違い。
燕市の経済は低下傾向にあるものの、しかし倒産件数は少なく、後継者問題で廃業に追い込まれたところが減ってきている、という話。
むしろ、最近では、協業をさらに発展させて技術革新などを織り交ぜながら、新しい展開をしつつある、という。おもしろいのは「協業」、燕市の金属加工業は、3人以下の零細企業によって営まれ、営業活動はせず、得意の分野に特化している。そうした業者が、市内に多種多様な加工が可能なように集積して存在しており、仕事の取り合いよりも、自分よりもよりきちんとできる業者に仕事をまわしあい、燕ブランドをつくっているということ。
ここ数年、勝ち組負け組、競争原理一本できたが、そうではなく、自らの専門性を高めて、たすけあい、まわしあいの仕事の仕方を集積させていく、という方法論は学ぶべきことが多い。
それが可能になったのは、工場が営業活動せず、問屋任せにしてきたことも大きいという。現在は、その問屋による営業のほか、加工業者どうしでチームを組んだり、自治体の外郭団体が燕ブランド全体を営業活動することで、洋食器だけではない幅広い金属加工の仕事を取ってきているという。

最後に燕三条駅前の地場産センター。いい金属食器や包丁が揃っています。

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11/29 団体ヒアリングの結果

午前中、地域福祉計画策定委員会。これまで続けてきた団体ヒアリングのまとめをグループ別に発表。人材難、場所難のほか、各団体の連携がなかなかうまくいっていないような結果が出た。また行政の情報提供のあり方にも不十分という声が多かった。地域福祉であがってくるようなすきまの福祉ニーズに対して、市が相談にうまくのっていない話も多く、行政の仕事のあり方の見直しが避けられない。
また各種ボランティア団体が、横の連携をとって、お互いの専門性を活用しあう関係をつくっていくことと、人材確保のためには、ボランティア活動を支援する動きが必要な感じがした。
あとやはり、新住民をどうするか、ということがテーマとしてあった。

午後は、友人のトラブル対応に追われる。必要な手を打つ。

政治家の秘書をやっている石田敏高さんという、とてもよいセンスを持っている方がいて、ホームページで、夜間中学、高校の意義を強調していた。賛同のメールを送ったら、一部私の経歴に誤解があったものの、面白がってくれてその内容を紹介していただいたことが嬉しい。
教育改革というと、力任せに子どもを感化するような話ばかりで、どうも違うんじゃないか、と思ってきた。教育関係者はどうしても「勉強したくない子」や「勉強したいけど、やってもやってもできない子」というのを認めたがらない。子どもは集団をつくり、子ども社会をつくることによって学ぶことが、やがて社会を支えていく人をつくる上で一番大きい。教育というのはその次のような気がする。子どもをおかしくしないためには、「勉強したい子」や、「勉強をやればできる子」の居場所しか考えられない教育界の議論を変えないといけない。これは右にも左にも言えることだ。
夜間中学や夜間高校は、いろいろな意義がある。働きながら勉強する、というのが第一義だ。しかしそれだけではない役割を広く背負ってきている。それはこれからの混乱する日本の子どものためにも必要なものだと思う。

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11/28 オーバーステイ

地域福祉計画の団体ヒアリングで、委員で私の小学校のときの同級生の母親と一緒にアジアの留学生・就学生と交流する会のバザーを訪問。

財力の限りがある個人の資金のみによって奨学金を出しているグループはここだけ、ということ。会として自由に活動領域を広げたり変えたりしてきたことが、長続きした理由ではないか、という。

ただ、留学生は、余暇があればアルバイトに追われて、最近は、留学生との交流が充実できない、という悩みと、アジアの各国の留学生も日本の学生のように、多くの人と仲間意識を持たなくなったという。会で行事をやっても以前は、同郷の人などたくさん連れてきたが、今は親密な友人だけ、ということらしい。

事務局を担う樋口さんは個人的に、会員で片方がオーバーステイになってしまった留学生夫婦の救援活動をしている。「イラクの派兵反対とか一所懸命やっているような人でも、オーバーステイには非常に冷たいんですよね」と嘆く。

オーバーステイをすべて容認してはいけないが、だからといって社会からどんどん切り離していけば、当然闇社会とつながって生きて行かざるをえない。オーバーステイ外国人がオーバーステイになってしまった失敗をやり直すシステムが必要なのではないか。

その一つとしてこうした支援団体の活用を考える必要がある。

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2004.11.29

11/28 肉体至上論の介護保険改革

28日毎日新聞に介護保険の軽度、要介護度1、要支援の受けている家事援助が原則的に「新予防給付」に移行するという記事が載せられた。介護保険の若年者の拡大とともに、大きな改革の柱になっている。

現在、介護保険では大手事業者を中心に、利用者の足にお湯をかけて気持ちよくして「身体介護」、自立して家事をする能力があるのに「家事援助」として、介護を行っているとしている事例が多い。こうした介護を続けていると、高齢者の自立する力を奪い、寝たきり高齢者をつくっていったプロセスと同じになる、ということだ。だから介護予防の視点を、というところまでは同感。しかし、高齢者の生活をどうするのか、機能回復の期待できないものをどうするのか、身体機能の回復だけで自立といえるのか、そういった視点でいうと短絡的な改革といわざるを得ない。

私は3点問題があると思う。
まず、介護保険の在宅サービスのほとんどがサービス時間による点数制度になっていて、内容を問わないようになっている、ということだ。だから、低レベルで、介護の知識のない利用者が単純に喜んでしまうようなことばかり業者がやりたがるのは自然のことだ。歩く途中で休まれたりして、時間の定まらない散歩などをヘルパーがいやがるのは当然とも言える。医療のようにサービス内容に応じて点数制度を組み立ててもよいが、それがまた過剰サービスになる可能性もあって、難しいところだ。
次に、介護サービスの内容を決める「ケアマネージャー」が、介護サービスを提供する事業者に雇われてもよい、として、介護事業者のいいように介護サービスを組んでしまうことができることにしたことが問題が多い。
そして、苦情解決のシステムも整備されていない。国保連合会へ、ということになっているが、国保連合会の存在を知っている人は少ないだろうし、介護の必要な高齢者に、国保連合会に申し立てるということは相当のことがない限り不可能だ。

財源問題は本来、医療が介護の代用として高齢者の長期入院によって行われてきた「社会的入院」の解消で帳尻を合わすはずだった。しかし、医療業界が医療保険で高齢者から上げる収入はほとんど減らない。社会的入院に代わり相変わらずの過剰診療、過剰投薬が行われ続けているといえる。その結果、介護に移行してコスト低減を図るということができていない。こちらのほうが重要なのに、まったく放置され続けている。
もっと、医療保険の負担とワンセットで介護保険の負担の問題を語るべきだ。

また、利用者の自立をもっと主体的に捉えるような改革が必要で、自立が身体機能だけ、という短絡的な高齢者観は捨てるべきだ。より社会参加している、自分で自己決定ができている、そういうことに近づけるような改革でなければならない。わかりやすく言えば、痴呆老人の介護はどうあるべきか、ということだ。痴呆老人に身体機能の改善ばかりやっていれば、その家族にとっては介護保険制度導入前の介護地獄が戻ってくるのではないか。また、カップラーメンばかり食べている高齢者というのを最近よく見かける。体力の限界で重たい買い物や長時間歩くような買い物ができないからだ。自宅に野菜や魚や肉をもってきてくれれば、料理ができる、そうした高齢者の自立をどうとらえるのか、ということをもっと考えなくてはならない。

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11/28 オーラルヒストリー

●御厨貴「オーラルヒストリー」を読む。歴史学や考古学では、文字文献や歴史的残存物から歴史を証明していくということを優先すると聞いたことがある(間違っていたらご指摘ください)。ところが、これでは文献にしか残っていない歴史しか証明できないし、日本のように、公人(公務員や偉い人だけではなく芸能人や文化人など国民の共通認識になった人々)が、退任後、自伝を出す風習のないところでは、歴史の評価が定まらないことが多くなってしまう、という。その重要性は頷ける。※自伝といっても、政治宣伝用のではないもの。クリントンのマイヒストリーのようなもの。
最近、私の同志とも言える友人が、元社会党右派の理論家である議員を訪ねて、歴史的な歩みを対談しながら聴いている。彼によると、社会党と民社党の分裂や、おたかさんブームの迷走は、一般的議論だけでは片づかない、いろいろな動きが交錯した結果だといい、その証言者が次々にいなくなりつつあったり、記憶をたどって語ることが難しくなっていくなかでは、今やらなくてはならないことという。
また、地域福祉計画であちこちにヒアリングに行ったが、文書による証明ということだけでは、ほんとうの課題は浮かび上がりにくい。特に、福祉のボランティア活動をされているような団体は官僚的な文書蓄積能力を充実させるだけの余力がなく、誰かが訪ねて、ボランティア団体の歩みや、活動の壁、転換点、社会に訴えなくてはならないことなどを聴いて整理しないと、何が行われているかわからない。
社会が複雑化して、多様化すると、ますます、現場を訪ね聴き取り調査をしていくことの重要性が高まっていると思う。

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2004.11.26

11/26 本当の相互乗り入れ

またまた東上線の話題。今日は運賃制度の話。

私の職場は東上線と相互乗り入れしている有楽町線の沿線にある。
東上線は地下鉄有楽町線と直通しているが、この直通というのが、同じ池袋を通り、ほぼ平行なところを走っているのに、会社が違うため、違う運賃体系となっている。そのことでやりにくい思いをしている。

私の場合、往路は、混雑が緩く、並行ダイヤで速度が落ちる東上線より速く、乗り換えもない和光市から有楽町線回りで都心に出ている。一方、帰りは、池袋で買い物をしたり、寄り道をすることがしばしばで、そうなれば池袋で有楽町線を降りて、用事を済ませて東上線まわりで帰る。往路と復路の経路が違うことが多い。
こうなると、会社ごとに運賃を積算していく今の私鉄の運賃システムでは、定期券を買っても追加運賃ばかり払って損するばかり。そんなことに不満を持っている利用客の気持ちを逆撫でするように、違うルートで定期券を使うなと、わざわざ駅などには、大きな警告の案内までついていて不愉快になる。全くもってお客様無視だ。
大阪の私鉄の阪神と阪急は、手を携え、共通定期券の運用をして、大阪・神戸間はどちら回りでも使えるようにしているような事例もあるし、岡並木さんの「都市と交通」ほか様々な海外の都市交通の紹介では、共通運賃制度がない都市のほうが珍しい。
で、憤りながらも、仕方がないので回数券を買おうかと思うと、直通電車は1本でも、会社をまたがるので、2種類の回数券を組み合わせて乗らないといけない。この場合使える改札機が制限され、改札が空くのを待たされたり、回数券自体を紛失してしまうことが多く、ほんとうにバカバカしい思いをしてきた。
結局、正規運賃のパスネットを使って乗っている。なんだか割損している気持ちだ。

東上線から地下鉄の直通電車の路線図も不親切だ。乗り入れ先は有楽町線の駅しか書いていない。実際都心に出て、有楽町線だけで用事が済むこともなく、乗り換えたりしなければならないのに乗り換え駅すらわからない。地下鉄に入ってから乗ってくるお客さんは、直通電車の客じゃないから、東武の路線図が懇切丁寧なのに地下鉄の路線図がぞんざいでは役に立たない。
駅でも有楽町線の運賃表しかないから、さらに地下鉄を乗り換えてどこかに行く場合は、いったいいくらの切符を買ったらよいのか、まったく見当がつかない。

私は、都内をいくつか回るとき、地下鉄の1日乗車券を使うことがある。しかしそれを手に入れるためには、直通電車が来ても、和光市でいったん降りて、改札を出て、地下鉄の切符売り場で地下鉄の1日乗車券を買いなおさなくてはならない。時間の無駄か、お金の無駄とその後の都内での時間の無駄か、選ばなくてはならない。

と思ったら、小田急と地下鉄は、、小田急東京メトロパスというものを発売した。小田急線の往復乗車券と、地下鉄の1日乗車券がワンセットになったものだ。これなら地下鉄との接続駅で1日乗車券を買いなおすようなバカバカしいことはしなくていい。

線路つなげて、電車を共通で走らせれば相互乗り入れ一丁上がり、ではなく、ソフトウェアも含めたほんとうの一本化をやってほしい。このことは過去30年以上、交通関係の研究者や識者が指摘しつづけているのに、一向に改善されない。

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2004.11.25

11/24② 消防署へのヒアリング

午前中、地域福祉計画の団体ヒアリングで朝霞消防署を訪ねる。副署長さん、大隊長さん、救急救命士さんから、防災弱者の救助活動の現場の話を聴かせてもらう。

朝霞市は近所のつながりがまったく無くなってきていて、そのことで、消防や救急活動で、防災弱者の救出にとても大変なことになっている。聴覚、視覚、知的、精神などのコミュニケーションにハンデのある障害者や、外国人などの対応にとても困られており、福祉と消防の連携というのが、プライバシーの保護とワンセットで実現することが重要になってきている。
あとは急増しているマンション住人の防災、消防・救急活動の困難性も教えていただいた。近所となるべく仲良くしておくことは重要だ。我が家はできているのだろうか。
そういう意味で、町内会活動が話として上がったが、町内会の活性化が話に出てきた。その通りだと思うが、生命や財産の保全で迫って町内会活動に参加するように迫っても、といって参加する人が増えるとともに、町内会以外の近所の人間関係のあり方も考えてみる必要がありそうだ。

思ったより率直に話していただき、福祉のニーズもよく理解され、好感度アップの消防署だった。しかし、一部事務組合という一種の広域自治体が運営し、市役所と切り離され、防災行政は市役所に聞かないとわからないことが多いことや、福祉との連携も、市役所の出方待ちになってしまっている。現場を知っている消防署からの提案をもっとスムーズに受け止められる市役所のあり方も考えなくてはならない。

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11/24 積立金の流用

今日は私の誕生日です。この日を祝うかのように、私の働く労働組合では、3000人集会を行いました、というのはウソで、予算編成に向け、自治体の財政を犠牲にした国の財政再建の中止を求める大集会を行い、夜まで仕事にかり出されました。

東武鉄道が「特定都市鉄道整備事業」について発表
「特定都市鉄道整備事業」とは国の政策にもとづく、私鉄の改善事業だ。遅々ととして進まない私鉄の複々線化のために作られた制度で、私鉄の会社は、①工事開始前に割増運賃を徴収し、積立金とすることができる、②積立金の利息は無税とする、などのメリットがある制度だった。この積立てで資金的余裕ができたことと、バブル崩壊で地価などの土地取得費が下がったことなどで、東横線、西武線などは一気に複々線化が進んだ。
ところが混雑緩和は、複々線化だけではなく、信号設備の改良、追越用の引込み線の設置などの経費のかからない方法もあるとして、この制度の対象はそれらまでを含むようになった。さらには電車のドアを増やしたり、新車に買い換えれば定員が増えるという理由で、車両の買い替えまでが対象となって、筋がおかしくなり始めた。

東上線の場合はどうか。
第一次の事業では、志木と和光市の間の複々線が実現し、和光市からは有楽町線が直通して、池袋よりのところでは混雑率は大きく低下し、制度の目的にかなったものになった。
ところが第二次では、信号設備の改良、追い越し用の引込み線の設置が対象となり、混雑の解消とともに電車の速度も上がる説明がされていた。それに付け加えるように混雑率が高くない、池袋から60キロ以上離れたところが複線化事業が対象として加えられた。
ところが年々、第二次の事業の内容が明示されなくなり、その公開されない内容から、追い越し用の引込み線の設置が消え、信号設備の改良が消え、最後はこのいなかの複線化だけになった。これでは全然メリットのない地域の人からお金を取って、混雑の解消ではなく、遠距離通勤客を増やし、混雑を招くことをやっている。しかも、複線化をした現地では、東武鉄道系列の不動産屋が大々的に住宅開発して販売しているのだ。利用者から割り増し料金で積み立てたお金は、東武の不動産販売の営業経費消えた。まったく不当な話だ。

東上線はもともと東武に乗っ取られた会社。東武本線と離れ、東武本社とも離れているため、全然大切にされていない。次々に複々線化され、直通する地下鉄が増えている本線と扱いが大違い。営業効率が良いのに、設備投資は後回し、ダイヤ改正すら5年に1度以下。そんな経営感覚の中で、こんなことがまかり通ってるのだろう。住民よ蜂起すべし。

●NHK教育「福祉ネットワーク」が面白い。社会のすき間にあるような、しかし当事者にとって深刻なテーマを毎回取り上げている。人生、こんなことあるかも、そのときには、と思うところがある人にはお薦め。今日はED。何となく苦笑してしまうようなテーマだが、やはり自分にふりかかったら結構うちひしがれるのではないかと思う。当事者なども登場させて、真剣に取り上げていて、NHKならではの番組だ。

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2004.11.23

11/23 湯布院

規制改革特区も成熟してきた。先だって書いたタクシー規制強化特区のほかにも、長野のある町では、野犬を容認する「忠犬特区」の申請もされた。これは面白い。

最近、まちの犬は大切ではないか、と考えている。
野犬が狂犬病などの伝染病予防と、害獣として駆除されてきた。しかし、そのことで、カラスをはじめキタキツネ、狸、最近では熊に至るまで、野生動物がまちに流入し、さまざまな問題が起きている。山林の疲弊も最大の原因だが、まちの側も、それらの野生動物に対するカウンターパンチャーを失ったことが大きい。
札幌にいた頃、自然との交流活動をしている小川巌さんという方の論文を読み、頻繁に出没し、札幌のごみを散らかすキタキツネの害について、野犬がいなくなったことが大きい、という。

孔子といえば道徳主義的な感じがするが、そうではない孔子一門の革命的人生を描いた酒見賢一「陋巷に在り」(新潮文庫)では、犬が人間の騒乱や暴動の予告として、騒ぐ話や、まちの出入り口に犬の首を掲げているシーンなど、犬が都市の守護神として描かれている。漢字の成り立ちを明らかにした白川静「字統」という辞書では、道という字は、文字通り、通りに首が掲げられているものを表現している。
犬はまちの守り手、駆除するだけではない、愛玩するだけではない、犬とまちとの関わり方を考え始めることが必要だと思う。

規制緩和を目的としたが、地域の特性を求めるニーズは思ったより広がって、より規制強化や、想像外の規制改革を求める声が挙がっている。単純な規制緩和=経済活性化、多様な公共サービスのニーズを満たす、という予定調和論では公的な規制というのはわりきれないものなのだ。
本来はこういうことは、地方分権で解決すべきことだったが、残念なことに、思うように進まず、結果として、トップダウンの規制改革特区に申請が集中してしまったのだろう。

●木谷文弘「由布院の小さな奇跡」(新潮新書)を読む。旅館経営者の中谷健太郎さん、溝口薫平さんら、民間人が戦後の「開発」のあり方に背を向け、町並みとコミュニティーの力を引き出すまちづくりをしてきた湯布院町に、これからの自治体のあり方として学ぶべき点が多い。その歩みや考えを俯瞰するにはいい本。
ちょうど1年前、旅先で妻の紹介してもらい、中谷健太郎さんとお会いする機会があった。見事な技で淹れていただいたお茶のおいしかったこと。映画祭の仕込みで、いろいろな映画のお話しや、日出生台の自衛隊基地での実弾訓練の問題などについていろいろお話ししていただいた。
湯布院のような、みんなで考えて、自分たちで変えていく、という「自治」の作風が、流行の市町村合併で増えるのか、減るのか、試されていると思う。小さな自治体だからこそ、民間ベースでできることがたくさんある。今、湯布院町は合併に向けて動き出したが、一緒になる自治体が湯布院のような開発規制に合意し、同じルールで街を運営し、町を守っていけるのか不安を感じざるを得ない。

●プロジェクトX横浜の「ベイブリッジ」を見た。毎回、ここに出てくるすばらしい事例には敬意を表するが、良く考えると土建関係の公共事業か、家庭や地域社会を無視し続けた製造業のサラリーマンの苦労話ばかりでワンパターン。何か違う。
プロジェクトXで取り上げられ、取材を受けた湯布院の中谷健太郎さんも、無理に話をくさいパターンにはめようとされた。取材してくさいパターンとは違う番組を作ろうとした地元の放送局のディレクターを、東京のディレクターが追いつめて、くさい話にされていったこの番組の仕事の方法に疑問を呈していた。

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2004.11.21

11/21 山本譲司さんの話

朝霞市の知的障害者の家族会「朝霞手をつなぐ育成会」(→全国団体「全日本手をつなぐ育成会」)が主催の、元衆議院議員の山本譲司さんの講演会を聴きに行く。「塀の中の掃き溜めと呼ばれるところに居る障害者たち」というタイトル。
山本譲司さんが、秘書給与疑惑の罪で服役中、知的障害者や精神障害者の受刑者など一般受刑者と同等の作業が困難な人たちが集められた「寮内工場」の世話役として服役した経験から、知的障害者、精神障害者を日本の司法がどう扱い、どう問題解決すべきかのお話しをされた。

日本の裁判所、刑務所、社会復帰後の保護観察や福祉施設の問題を指摘していた。
裁判官は、裁判の判決の軽重、執行猶予の付与について、「改悛の情」と「引き受けの環境」によって決められるために、知的障害者や精神障害者のように、裁判所で「すみません」の一言が出せないような受刑者に厳しい判決が下りることになっている。一方、芸能人のように、演技たっぷりに涙を流してしまえば、簡単に執行猶予がつく、という。裁判官が、知的障害者や精神障害者を始め、福祉を必要とする人に対する認識不足が大きい、と山本さんは指摘した。
刑務所は、医療やカウンセリング、更正プログラムの不備によって、無駄な作業ばかりが続けられている。刑務所の医師は全国で200人いるというが、大半が医療刑務所と、東京・府中をはじめとした要人や重要事件の被告や受刑者の入る刑務所・拘置所に配置されとているため、知的障害者、精神障害者の受刑者のケアにまわらないという。
そして、出所後の問題。引受先が無く、カプセルホテルに行くしかない、ホームレスになるしかない、という状況。本来、そういうコーディネートする保護観察所が、まったくあてにならない。社会の偏見と、福祉の不備で行き場が無く、そのことで再犯率を高めてしまっている、と指摘。知的障害者や精神障害者が、状況認識能力がないから犯罪率が高いのではなく、行き場がないことによって犯罪が引きおこされているという。

詳しくはポプラ社「獄窓記」を読んでほしい。
山本譲司さんは、持ち前の人権感覚や平和問題に対する意識を、議員になって民主党の選挙至上主義のなかで見失っていたという。刑務所で、障害者達の生き様にぶつかることによって、また取り戻しされたのがほんとうによかったのではないかと思う。
現在は、障害を持っている出所者の「雨露をとりあえずしのげる」施設の立ち上げに向けて奮闘し、また、障害をもつ受刑者たちの人権保障や、実効ある更正のための制度整備にあちこちかけあっていると聞いて、ほんとうにすばらしいと思った。

「人物本位」という美名のもと、有権者は議員を選ぶが、その基準は、「まとめ役としての器量」「親しみやすさ」「地域への貢献」などで量られる。そのために議員であり続けるために使わなくてはならない努力が多すぎる。議員はそんな時間があれば、と思うようなことにあまりにも労力を使わなくてはならない。そうして、大事なことがどんどんできなくなってしまっている。議員を辞めて、山本譲司さんは、ずっと社会に役に立つ活動をしている。そういう世の中の動かし方が増えていってほしい。

山本さんと同時期に出所した他の2人は1人が自殺、1人が再犯となっている。逮捕、取り調べ、裁判、懲役、とこの間山本譲司さんを支え、そして今日、こうして社会に役に立つ活動を、みんなに代わってやってもらうまでにしてくれた、ご家族や、彼の妻の実家に敬意を表したい。

最後に山本譲司さんは、福祉は社会改革運動と言い切った。私もそうだと思う。制度があって福祉ではなく、困ったことがあって、解決する道筋に福祉があるのだと思う。程度は雲泥の差だが、その志は一緒の気持ちでがんばりたい。

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2004.11.20

11/20 若年者も必要なホームヘルパー

介護保険と障害者介護の統合がとりあえず先送りになりそうな公算。考え方はわからないわけではないが、若年層から保険料を巻き上げよう、という発想が先行しているのが見え見えで、若年層の社会保険不信は増大しそうな考えだった。
税ではなく、社会保険制度なので財政問題は大事だが、選挙に行く中高年への負担を増やしたくないからと、失業やニートなどの問題がぎっしり詰まっている若者から富を収奪することでよいのだろうかという感覚がつきまとう。
介護が必要なのは、「障害」だけなのだろうか、という疑問もある。父子家庭や、産褥期には、家事がどうにもならない家庭はいっぱいある。社会的な障害といってもよい。若年者のそうした切実なニーズを考えにも入れないで、ただ被保険者だ、いずれ年取るのだと、保険料徴収しても、年金で取られ、医療で収奪され、そして介護まで、という感覚にならざるを得ない。

統合にあたって、第1に、障害者介護のニーズをきちんと明確にすべきだ。
現在の支援費制度のもとで、障害者介護のニーズがどこまで表に出るかということを計る必要がある。支援費制度になって、従来の役所の裁量でホームヘルパーの利用を制限したり、障害者施設の入所先を一方的に決められなくなった。それによって、家族介護や、社会参加の抑制などで潜在化していた障害者介護が、今表に出てきている。障害者が社会参加をし、障害者以外の人と同等の社会生活を過来るためには、それがどれだけのニーズになるのか、はっきり見極めることが必要だ。

統合にあたって次に必要なのは、保険料を払うのが若年層に拡大される、ということから、障害以外の、若年層が必要とする介護給付を整備すべきだ。例えば、シングルマザー、シングルファザーの家庭の家事介護、2週間から1ヵ月の産褥期のヘルパーなど。
高齢者はちょっと足が動かないと、ヘルパーさんが派遣され家事やリハビリをやってもらえるのに、若年層はどんなに困っても自助努力となっている。自助努力にも限界があることはある。最近は家政婦事務所も減って、お金を出しても頼めるところすら少ない。
産褥期の家事、実家の支援が現在はなく、多くは、実家の支援に頼っている。それがない場合は、夫が休暇でも取らないと生活が破綻するのが実態だ。
それから、シングルファーザーの場合、職場の要請で家のことを優先するわけにいかず、家事がめちゃくちゃになって家庭が深刻な事態に陥っているケースが多い(森田、川野「日米のシングルファーザーたち」(ミネルヴァ書房)参照)。
介護保険料を取るなら、これくらいは制度化してほしい。負担と給付の割合からすれば微々たる話だと思う。

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11/19② 

東京電力で残業代の大量不払いがあったと報じられた。日本の企業のやることだから、残業代の踏み倒しぐらい珍しくも何ともないが、東電といえば連合笹森会長の出身職場。連合は一昨年、昨年、今年、そして来年の春闘で不払い残業撲滅に力を入れているというのにお膝元でどうなっているのだろうか。以前も連合が経営監視と言っているさなかに、東電の原発の事故隠しが発覚し、東電労組としてそれを反省したという話は聞かない。

官僚化した労働界を変えていき、働く人々共通の公器としての機能を回復しよう、とする労働界の数少ない人物が笹森会長であるということは確かで、その方向性は間違っていない。そして、経営監視、残業代の不払いの撲滅など、単なる物取り賃上げ路線ではない、組合のない人たちにも共感を得られるようなわかりやすい主張を掲げていることもいい。右派系組合の出身なのに、戦争に反対し、イラク派兵にノーを主張しているのも好感度が高い。話も上手だ。職場に残る後輩達に煙たがられるかも知れないが、だからこそ、あと一歩、お膝元の東京電力のこうした不祥事に毅然とした姿勢をとってほしい。そうすることで労働界の気迫が生まれてくる。

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2004.11.19

11/19 政治家になるための塾

●出井康博「松下政経塾とは何か」(新潮新書)を読む。前々から、若干の例外の人を除いて松下政経塾出身者は苦手だった。何かというと、坂本龍馬だ、高杉晋作だ、というのが暑苦しくて、もっと冷静に物事を考えられない物なのか、と思った。また、日本はダメになる、という悲壮感たっぷりに課題設定するのも、宗教かがっているみたいでうさんくさい。財政を疲弊させるほど世界一安い税金の国にいながら、税金をもっと安く、と主張する。これらは松下幸之助の受け売りだったのか、とわかる。
初期、80年代の塾生は、松下幸之助との交流があり、その薫陶を受けた。既成政党のなわばりもしっかり残っていたし、社会的に全く認知を受けていない政経塾卒業、という立場でどう政界進出するのか苦労したようだ。その松下が語る政治の見方をそのままはき出しているに過ぎない、ということがわかる。
中間期に政経塾はいったん政治だけでなはい人材育成を目標にして、近年また政治家養成に戻っていったよう。最近の塾生は、年中選挙の応援ばかりしていて、卒塾する前に選挙に出てしまい、松下幸之助が「地盤看板カバンのない人でも政治家になれる」ための養成所としては促成栽培すぎるようなところになっていると書かれている。金子勝があるNHK番組で「最近は政治家になるための塾だってある」と言っていた通りだ。
学ぶべきところ、やはり、人材育成。そして30年持続すること。松下政経塾のように、税金を払わなくてよい国をめざすような改革ではない、新しい価値観を基本に、人材育成を始めないと、それこそ、立身出世という高度成長時代のノリから一歩も変われない日本になる。
ごくわずかだが、そういう松下政経塾の限界を見据えて、松下政経塾の利用できるところをきちんと利用して、塾関係者じゃない人たちとコミュニケートとりながらやっている政界関係者もいるし、その人たちには弁護したい。

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2004.11.18

11/18 筋が違う三位一体改革

三位一体改革も郵政民営化も、小泉構造改革は、筋違いばかりやっているような気がする。
それは小泉首相の政治力の限界でもあるんだけど、マスコミや国民の政策判断能力にも問題があるんだと思う。小泉の提案していることが具体的にどう良くなる、ということを考えられずに、民営化=善、地方交付税=中央依存体質、という単純な図式で理解されているから、具体的に問題を検討すると、そうじゃない実態も出てきていたりしてぐちゃぐちゃになってしまう。

日教組のみなさんには怒られるかも知れないが、私は教育費の国庫補助は廃止すべきだと思っている。すでに公立に限って保育園は運営費補助金を廃止して、自治体の自由に使える財源にした。コスト削減のために民間委託などいろいろ問題が起きている。しかしそもそも民間企業が参入していない学校で、教育費の国庫補助をやめたからといって教育の質が下がるとは思えない。また、国民の監視の眼も、保育園以上に厳しく、安易に質を下げる話にはならないだろう。むしろ、今は画一的な教育スタイルで、全国どこ行っても文部省教育指導要領のままで、全国どこ行っても、学校の教室は担任が王様だから、ひどい担任にあたると取り返しのつかない事態に陥る。

こんな教育の問題を打破するために、いくつかの自治体では特区申請をしたり、独自に教員を加配したりして、何とか地域の教育課題に答えたい、とやっている。それから、私の勤めている労組もそうだが、地域が学校を運営していく、というスタイルを確立していかなければ、学校が地域の財産にならないで、国のイデオロギー論争の手先になり続けてしまう。

一方で、生活保護の国庫補助などを削減するのは大問題。生活保護は、自治体によって支給基準がまちまちでいいのか、という問題もあるし、その地域に住み続けなくてはならない制度利用者もいる。それが自治体の財政難だからと、支給基準が下がってよいものなのだろうか。
ここのところの自治体の財政難は、必ずしも山間地や離島が厳しいのではない。むしろ、工業都市で、そこの企業が儲からない自治体が深刻なのだ。そうすると、物価の高い都市部で生活保護の支給基準の切り下げや、精神疾患を患っている人などのような肢体機能に問題が見えないような人への補助がうち切られる可能性がある。彼らには公明党か共産党ぐらいしか代弁者はいない。

●新潮新書「松下政経塾は何か」が発売されたので購入。読み始める。政界を席巻し、選挙互助会として有名なこの集団をきちんと捉えることが重要。この集団のデマゴーグでずいぶんこの国の政治の質は下がった部分があると思う。書き出しに、最初の頃は、松下から派遣されたエリート社員の職員が塾生に、ナショナルの制服を着させようとしたり、毎朝校歌を歌わせたり、門限があったり、と80年代よく見られた社畜なみの扱いをして、ずいぶん揉めたようだ。そのあたりは面白い。最近でこそこういうノリは少なくなったけど、日本企業ってこういうの好きだよね。そうして鈍感なオヤジが生産されていったのか、と思う。

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2004.11.17

11/17 傍観

夜、地域福祉計画のヒアリング作業で、朝霞市に在住するNAFA子育て環境支援センターの畠山理事長にお話しを伺う。

企業の地域子育てへの参加を運動の特色としている。子育てにやさしい、というのを接客態度に留めず、宅配や戸別対応など子育てをしている親の視点での営業活動、託児所等との連携した営業活動のあり方を啓発していく活動をされている。「トコトコギュー」というフリーペーパーを発行して、無料配布しているが、その広告を集める時に、広告主の企業の具体的な「子育てにやさしい」実践を紹介するようなかたちにしていく、という。さまざまな保育政策に関して意見が参考になった。
それと、朝霞市は子どもも多く、若い世帯も多いという恵まれた環境にあるのに、行政がその良さを街づくりにまったく反映させていないと言われた。子が3歳までの保護者たちは地域社会とのつながりがなく孤立し、情報が必要なのに届かない、市役所行って、ようやくわかる人にだけわかるような資料しか入手できない、という問題を指摘していただいた。

畠山さんは市の子ども政策が無策で傍観主義で、とお怒りになられていた。市民参加なんてどこ吹く風、門前払いばかり受けているという。
私も、市の児童福祉課に行ったときに、一緒にこの街の子どもをどうするか、という視点が少ないのに、心配になったことがあったので、話に大いに共感するところがあった。
しかし、最近では行政訴訟で、行政が何もしなかったことによる被害が裁判で認められるようになり、傍観主義の行政の姿勢では、問題が起きたときに、責任回避ができないことになっている。

畠山さんの、この地域福祉計画で子どもの状況はどう変わりますか、という逆質問にメンバー一同、ドキッとした。気を引き締めていかねば。

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2004.11.16

11/16 お客様

よく、毎日書き続けられるね、なんて褒められていたら、忙しくなって、最近はとびとびです。すみません。

●この私の使っているニフティーのブログのシステム、どんな検索キーワードで索引した人が見にきておられるか、ということが確認できます。この1ヵ月は、見て検索ソフト経由で見ていただいている人が増えてきたようで、私がどんなことに関心をもって活動をすべきか、わかるようでありがたいものです。

最近は「天皇」「米長邦夫」が続いていました。園遊会の発言をめぐった記事が当たったのでしょう。一番、俗論を書いたような気がしているので、そのヒット数が多いというのは残念です。

平時に多いのは、保育園。やはり保育園がらみの記事が多いからでしょう。保育所に関して「入所基準」や「最低基準」というのも多くヒットします。行政がいろいろな基準でかっちり運営しているはずの保育所ですが、その基準がはっきりしないからでしょうか。
書名の検索は多く、「恐竜の道をたどる労働組合」という検索も多いです。
「小田急線」というのも最近多いです。なぜか私の利用している「東上線」は極めて少ないです。

一時集中するのは、集中的にマスコミで取り上げられた「旭山動動物園」のようなキーワードです。

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2004.11.14

11/14 王子と社会民主主義

11月14日は埼玉県民の日。その理由はわかりません。さらに西暦784年平城京から長岡京に遷都した日でもあります。そのおめでたい今日に、紀宮さまの婚約が決まったようです。まだ最終決定ではないので気を抜けませんが、まずはおめでとうございます。

私の勤務する労働組合は、落選時の身分保障や、さまざまな政治活動を、組合が全面的に支援する「組織内議員」というのがいる。そして、10年前、わずか1年だが、その組織内議員から総理大臣が誕生した。
不謹慎な話だが、以前、酔っぱらって与太話をしていたとき、労働界が社会的に公認されるためには、労働界から誰か紀宮さまに婿入りしたらいいんじゃないか、という話をした。うちも組織内総理大臣が誕生したんだから、なんて。
で、お相手が地方公務員で、中途入職ということなのでどんなにエリートでも、まだ課長にはなっていないと思われる。そうなれば、うちの組合員である可能性が高い。ほらも半分当たっているのかも。もちろんその婚約のお相手が組合活動を熱心にやっているとは思えないが。

私のように左より(今でも私は社会主義の一派の西欧社会民主主義者ですと公言している)の私が、宮家を否定しないのは変と思われるが、私は共和制(大統領制)の国より、立憲君主制やその変形である日本の政治体制のほうが、恐怖政治の発生率は少ないと確信しているからだ。だから私は宮家を否定する立場はとらない。英国労働党は王家を否定しない。ファシストのフランコ政権から民政移管したスペインは、不安定で過渡的な中道保守政権の後に誕生したスペイン社会民主労働党の政権は王家とともに民主化を推進した。

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2004.11.13

11/13 アンチワンストップサービス

労働組合のない電話会社の跳梁跋扈に、何となく不公正競争の臭いを感じて、NTTにこだわり、不利を承知でISDNを使ってきた。また私の住むマンションがISDNを全面的に導入することを前提に建設されたために、ISDN以外の通信が入らなかったこともある。
しかしわがマンションでも工事が行われ、いよいよ東京電力の光ケーブルが入ることになり、そちらに乗り換えることにした。以前、マンションにNTTのADSLを導入する話が持ち上がったが、NTT東日本の担当者が要を得ない説明しかできなかったために、管理組合はブロードバンドはNTT以外のところに頼む、と方針を変え、マイナーな通信会社の提供する遅めのブロードバンドが入った。本当にお気の毒だが、現場の営業に商品知識がないのでは仕方がない。
NTTにこだわりたかったが、最近、病んだ同級生から続けざまにかけられた嫌がらせ電話を何とかするためにNTT116番にかけ対応策を聞いたところ、ものすごく高い工事費と安くはない毎月の付加料金がかかるものばかり提示され、泣く泣く諦めた。迷惑電話を掛ける人の自由を野放しにして、被害者に過度な負担を押しつけるやり方に憤慨して、必要以上にNTTの味方をするのはやめた。選挙でも情報労連の候補はしばらく協力しない。

以前、一般回線からISDNに切り替えたとき、私のノートパソコンがISDNルーターしか認識しなくなり、一般の電話回線ではインターネットに接続できない羽目に陥って、出張では全く役に立たなくなった。パソコン本体か、その設定か、LANカードかケーブルか、ルーターか、ルーターを動かしているソフトか、ISDNのシステムそのものか、どれに問題あるのか、結局わからずじまいだった。

そんなんで今回は業者にいろいろ確認したが、対応はもっと悪かった。光ケーブルでも自宅以外ではインターネットに接続できなくなってしまうのではないか、と確認したところ、回線を提供する当の東京電力は「わかりませんので」他の者に代わります、と来るかと思いきや、「ブロバイダーに聞いてください」と責任を放棄。ブロバイダーは回線にまで責任を持つ存在なのだろうか。仕方ないので、ブロバイダーであるニフティーに聞いてみたら、申し訳なさそうに「わかりません」というだけ。どこに聞いたらいいかも教えてくれなかった。
ブロードバンドのトラブルは、一貫した責任がないのでたらい回しにされる、とよく言われる噂は本当だった。腹くくって、再度ブロバイダーのニフティーに光ケーブルに切り替えることを申し込んで、ついでに再確認してみたら、やっと、電話担当者の個人的体験から、大丈夫です、という回答をもらった。
この人に知識がなかったら、わからずしまいで不安におびえながら回線を取り替えことになった。「お役所仕事」というが今や、地方公務員はワンストップサービスとか、総合受付輪番制などが導入されて、たらいまわしはしないように対応しよう、ということぐらい常識になっているのに、ブロードバンド業界は未だにそういう常識がないらしい。
こんなことに2時間も費やしてしまった。ほんとうにブロードバンド時代なのだろうか。それにほいほい載せられて契約を変えようとしている自分もどうか。

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11/12 効果が高い環境税

CO2消費量に応じて課税し、CO2削減効果の高い森林再生などに使う環境税導入が山場を迎えている。導入を提唱している環境省に対して、経済成長を阻害すると、経済産業省が反対している。

私は、環境税を導入すべきだと思う。
経済産業省は、経済成長を阻害するという理由のほか、個々の商品の省エネルギー化でCO2削減目標は達成できる、として、環境税の導入に反対している。
前者はそうかも知れない。誰かが喜び、誰かが泣く経済なら、富が右から左に行くだけだが、みんなが喜ぶ経済成長は、自然からのエネルギーや資源の追加投入が続かない限りないといえる。しかし資源の浪費に見合う経済成長が期待できるのかどうか、そこが問われている。
しかし、後者についてはそうだろうか。例えば、自動車は、排気ガス規制や燃費が向上したけれども、マイカー保有者がそれを大きく上回って、燃料消費量は全然減っていない。このことからわかることは、個々の商品の省エネルギー化でCO2が減るという期待は実現しにくいということだ。もしそれが実現する場合は、それは日本の製造業が消費者の購買意欲を刺激する技術革新や営業努力が行われていない可能性が高い。

私は、自動車、電機といったこれまで日本の経済成長を牽引してきた産業の興亡という目先の話しだけではなくて、環境税の経済成長にプラスの側面を考えたい。
こうした政策目的による税金は、税収が国庫にしまわれるのではなく、ある目的で支出になっていく。つまり税収はかならず国内のどこかに還元されるのだ。
環境税の場合は、その使途がCO2削減に回るなら、森林産業などのCO2削減につながる仕事にお金がまわっていく。すると、壊滅状態に近づきつつある林業や森林に関連する産業の再興が可能になる。また、林業のさかんな地域は、これまでの日本の経済成長から取り残された地域が多く、県民所得も低い地域が多い。そういったところに生活保護や公共事業ではなく、仕事に対する補助として使われれば、所得再分配につながる。そのことで、林業関係者や、林業の盛んな地域に経済力が戻り、日本国内全体の購買力がつくということになる。

今回の環境税の考え方は、日本政府が、二酸化炭素削減京都会議の議定書をまとめるときに、二酸化炭素排出権取引という考え方を持ち込んだものを、具体化したものだ。
私は、和歌山県議会議員の玉置公良さんを取材したときに、国内での二酸化炭素排出権の取引を実現する構想を実現するために奔走している話を聴いたからだ。ちょうどそれは今日の地方と中央との所得格差が大きくなり始めた頃で、隣県の大阪府の二酸化炭素の始末をして、和歌山が豊かになる、というホラ話のような考えに、所得格差を解消する1つのヒントを感じたからだ。

環境税の収入の使途をもう少し広げれば、自動車や電機のCO2削減につながる技術開発に対して補助が可能になる。そうすれば環境を軸に高い技術革新が可能になる。経済産業省にはそういう建設的な提案がほしい。

蛇足だが、私はガソリン税は300円ぐらいにすべきだと思っている。その金額の妥当性に科学的根拠はないが、リッター15キロぐらいなら、電車賃程度。これくらいなら自動車の乱用はなくなると思う。
自動車の生産は国内の経済が成長するので、自動車の取得にかかる税金は高くないほうがよい。みんながどんどん買えるようにしていい。走り回るから問題なのだ。エネルギーをまきちらし、事故を起こし、余計な道路建設が必要になる。そんなことを考えると、自動車は持てるけど走れないような税体系にすべきじゃないか、と思っている。マイカーを持つけど、自宅で骨董品のように磨いて眺めてなら、問題はおきない。走れば走るほど負担が大きくなるのは燃料だからそこに税金をかけるべきだと思う。
特に、レジャーや、公共交通利用を忌避するために使われているマイカーの燃料、ガソリンに対しては、さらに高めの税金をかけて、消費者が本当のニーズを見極めながら使うように誘導するようなことがあってもいいと思う。

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2004.11.12

11/12 タクシー会社社長さんの電話から

昨日、地域福祉計画の策定のためのヒアリングで訪問したタクシー会社の社長さんから直々の電話をいただいた。話の内容は昨日のブログと同様だが、コミュニティーバスに対して、ライバル意識と、実際の利用率が低いことへの税金の無駄遣いという話だった。そしてタクシー会社として市にコミュニティーバスの見直しを訴えても、業者の利害を代表して見られるため、言いにくいというので、地域福祉計画でタクシーの役割を位置づけてほしい、という意見をいただいた。

このタクシー会社の社長さんのおっしゃるように、福祉的観点で4000万円分のタクシー券を高齢者や障害者に配ったほうが政策効果は高いと思う。しかし、高齢者でも自分でバス停まで歩ける人もいる。また高齢者じゃくて、専業主婦とか、児童とか、およそタクシー券が配布されないであろう人たちの中に、私交通での移動ができない人たちもいる。タクシーかバスか、という議論ではなく、適切な役割分担を行うことが必要だ、というふうに考えながら、タクシー会社の社長さんのお話しは一理ありと受け止めた。朝霞市の場合、東上線以外の公共交通が全体で弱すぎて、タクシーとバスのなわばり争いをするのではなく、マイカーや自転車といった私交通からどのようにお客さんを取り戻すか、というふうに考えるべきだと思う。

しかし朝霞市のコミュニティーバスは、それを必要と思う市民にとっても落第もので、乗客がほとんどいない。市は乗客数を公開して、市民から政策評価を受けるべきだと思う。今のままでは、自治体財政の悪化からコミュニティーバスそのものが否定される日が必ずやってくる。企画している市の担当者は、このようなバスを利用しているのだろうか。

コミュニティーバスがブレイクしたのは、96年から走り出した武蔵野市のムーバスの成功にある。ムーバスの導入にあっては、地域科学研究会という手間暇かけて調査するコンサルタントと市、都市交通の研究家がニーズ調査を何年もかけて、真のニーズや潜在的なニーズを発掘しながら、事業開発をしていった。

ところが昨今のコミュニティーバスは、日野のリエッセという車輌を購入し、民間バス会社に運転を委託し、なんとなく循環路線にすればいいというような安直なものばかりだ。
コミュニティーバスの開発に携わった武蔵野女子大の教授で、岩波新書の「都市と交通(絶版)」を著した岡並木さん(故人)を訪ねて、雑談のようにいろいろお話しをうかがう機会があったとき、コミュニティーバスの流行を否定はしないものの、そういう安直なやり方が、コミュニティーバスの導入にふさわしいやり方なのか、と疑問を呈しておられた。
というのも武蔵野市でさえ、ムーバス2号路線(現在は4路線ある)以後は、市長の選挙政策のように路線が導入され(それ自体は悪いことではないが)、ニーズに合わない路線設定を進め、利用者が多すぎでパンクしてお年寄りや買い物の荷物の多い人が使いにくい乗り物になってしまったり、裏道を通行することによって撲滅したはずの運行の遅延などが発生していた。

朝霞市の場合、そもそも利用者が少なく、市民に見放されている、というのが問題だ。
運賃の問題もあるが、何が一番大きいかというと、路線の設定だ。市内まんべんなく走らせるために長大路線となってしまっている。そのためわかりにくく、本数も限られてしまっていて、時刻表を見ないと使えない。
ムーバス1号線が最優先に考えたことは、時刻表のいらない乗り物、という考えだ。そのためには遅延と、定間隔運行が欠かせない。定間隔も10分とか15分とか、毎時間同じ時刻表にならないと覚えてもらなえい。
次に、ムーバスはわかりやすさを徹底的に追及した。時刻表もそうだが、バス停の番号化、運賃の均一、1周(往復)30分弱の短い路線、短いバス停の間隔など。
さらに、武蔵野市は私交通を徹底的に弾圧した。いちはやく自転車の放置の強制撤去や罰金を導入し、駅前自転車の利用料を1日100円(月22日勤務で2200円の駐車料!)に値上げ。違法駐車の自動車は監視員が即警察に通報、などのアグレッシブな政策をやっている。そのことで、なるべく公共交通を使ってもらう政策をとっている。
そうした総合的な交通政策があって、たったムーバスの成功がある。100円の運賃で黒字化できた。

朝霞市のコミュニティーバスはいち早く路線網、経営システムを再改革すべきだ。福祉目的ならそれにちゃんと沿うようなかたちで行い、市民交通のためなら、不採算地域から撤退し、その地域の高齢者と障害者に対してはタクシー券の配布など考えるべきだと思う。

またバスかタクシーか、ということではなく、深夜の多人数の乗り合いタクシーを運営している団地の管理組合もある。また、要求したところで止まってくれるバスもある。そうするとタクシーとバスの境目は実はあいまいということが見えてくる。タクシー会社にも、バス的なシステムを導入することも可能性として考えられる。

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2004.11.11

11/11② くだらない議論

次世代育成支援計画策定委員会の8月の審議会の議事録がようやく公開された。
保育所や学童保育の整備計画となる特定14事業計画について議論している。あまりにも低レベルな議論をしている。こんな自治体で子育てするのか、と思うと精神に暗雲が漂う。

延長保育について、福祉じゃない、なんて議論している。現状の19時だって、都内通勤者は17時30分ほぼぴったりに離席しなければ間に合わない。そんなこと言う人は新幹線でも通してくれるのか。その人の職場で労働運動を激烈にやって退勤時間を繰り上げてくれるのだろうか。安全圏にいる地域ボスは、困って身動きを取れない人を見殺しにする議論を平気でする。
地域ボスがこの街で何をやってくれたのだろうか。公園や道路整備して、親戚どうしで利権を分け合っていただけじゃないか。税金を払うのがバカバカしくなる。
特定の人に行政サービスを広げているという委員もいる。高齢者福祉や、医療に比べたら、保育サービスなんて屁みたいなものだ。九州や北陸の保守王国と言われるような地域の保育サービスのほうが、もっとまともな議論を踏まえて、まともな内容でされている。

次に出てきたのは、出生率を上げるために補助金をばら撒く話だ。現金もらえることに反対したり拒否する人間がいないから、高校生のお小遣い程度の現金給付が実現してしまう。失業や不安定雇用におびえる若者が、やっと子どもを産んで、社会サービスの支援も受けられず、妻を専業主婦にして貧乏のどんづまりにおいておく。それをなだめるかのように児童手当として月5000円が浪費されている。
閉塞している若年者家庭にお金を流し込んだって、子育ての状況は変わるのか。クルマやマンションのローンの繰上げ返済の原資にされるのがせいぜいだろう。
私は、児童手当や扶養控除は税金の無駄だと思う。困っているひとに必要なサービスが届かなくなっている。その財源で現物サービス(保育所や幼稚園、児童館などのサービス)を充実させて、子育てを社会化しなければ、何の問題解決にもならない。
一方で考えなければならないのは、退職金もあり、年功序列賃金のおいしい汁を吸いまくった高齢者が受ける介護保険は、介護度によるが現物サービスで月3万はでる。年金だけではない世代間不公平を、当事者でもない人間たちが、母親こうあるべき、特定の人だけへのサービス、などと勝手な議論をして、放置している。全く憤慨ものだ。
月5000円の児童手当で喜ぶはずの低所得者が、実際にそれを育児の充実に使っているのか検証しようがない。少子化は、子どもを産み育てる若年者の人生観に根ざす問題で、お金を上げれば子作りに励むというのは下品な、高度成長社会的な発想でしかない。

しかし相変わらず、特定14事業の市側の提案がどんなものか、というのがホームページでは分からない。委員の質の悪い議論だけが目立つ。

ちょっと乱文。若年者の市政への発言力を高めなければ、中高年世代の情緒だけで政策が議論され、この街はちっとも変わらない。

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11/11 業者がたたかう福祉

午前中、地域福祉計画の調査ヒアリングで、新座市福祉器具販売業「ふれあい広場」と朝霞市のタクシー会社でヒアリング。午後は、職場である労組が設立した国際協力NGO「エファジャパン」の事務局長に取材。

CIMG0026.JPG「ふれあい広場」のインタビューでは、メーカーが機能性を追求するのに対し、実際の現場ではシンプルな器具を求めているという。企業努力がどこかずれているという話、器具を購入する人の家族のニーズと本人のニーズが食い違うことが多いこと。家族は楽になるものを求め、本人は社会生活の復帰につながる物を求める。その調整が難しいという話が印象的だった。もっとケアマネージャーが力をつけ、意思疎通をスムーズに仕事していく必要を感じているという。この業者は、依頼→相談→選定→納品までの一連の作業を同じ担当者が行っていて、納品して不具合が生じることを減らしているという。そのために、営業、納品、相談すべてできるように従業員の資格取得を奨励している。隣の志木市では、介護予防教室を開く準備を進めている。バリアフリーについて実践的に知識を蓄えておられるようで市から意見を求められてもかまわないが、不特定多数の人のバリアフリーについて適切な意見を言えるのかどうか、と回答。

acf_taxi_1.jpg
タクシー会社のインタビューでは、福祉移送について話を聴く。
朝霞市は4000万円以上をバス会社に補填してコミュニティーバスを運営しているが、利用者はまばら。運行ルートが長くわかりにくい、運転本数が少ない、などが原因。タクシー会社は、それなら4000万円分のタクシー券を高齢者や障害者に配布したほうがいいんじゃないか、と指摘した。またこういう公共交通は公共性が高いにもかかわらず、行政との接点は国の輸行政へのチャンネルしかなく、自治体政策への発言が必要ということも聴く。車椅子搬送タクシーの運転手と、その他の一般の運転手との福祉移送についての従業員教育の差が気になった。車椅子搬送タクシーの事業は、社会的責任ではじめて、ずっと赤字続きだったが、近々やっとペイする可能性が出てきた、という。その背景には高齢化と介護保険導入がある、という話だった。

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2004.11.09

11/9 政治的手法

昨日の毎日新聞で、NHKの労組・日放労が、NHK会長海老ジョンイル退陣を求めた集会を開いたところ、当日、新潟地震のチャリティー24時間番組をぶつけられて、集会に組合員があまり来なかったと報じられた。心配だ。誰もが反対できない大義(新潟地震のチャリティー)をふりかざして、ほんとうの臭い物(エビジョンイル独裁のNHKのゆがんだ報道)にふたをする政治的手法。24時間テレビなんてやらなくたって、他に方法はあったはずと言えるが、どこまでそれが通るか、社内として微妙だろう。ただ、海老ジョンイルが地位を守るためにNHKの放送がゆがんでいるのは確かで、そのひずみを直す地震はいつかやってくるだろう。

●家庭の事情で電気ポットを買った。どれもこれも、変なところばかりに技術を使って、肝心のところに工夫がない。最近の電気ポットは困りもので、電源に入れていないとお湯を出すことができない。家の中を持ち運んで使うことはできないし、常時電気が入るので、電気代が心配。災害時には冷水を入れて使うことすらできない。電気のお陰で、お湯の温度を多段階にセットできるが、設定できる温度は固定されている。うちでは50℃のお湯が欲しいが、それをセットできるポットはなかった。また、お湯も1.5リットルあれば十分だが、今のは、最低で2.2リットル。常時電気で暖めておくには不経済だ。

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2004.11.08

11/8 税金は高くない

昨日はお休みいたしました。あしからずご容赦ください。
ここ数日、注意力が低下し、少し記事の内容や論旨が雑になっているような気がします。誰に指摘されたわけではありませんが、納得のできないできです。お詫び申し上げます。

増税が議論され始めている。
私はもっと日本人は税金を払うべきだと思う。宝島社「数字のどこをみてるんだ」では、日本の税金は世界でトップクラスの安さ。社会保険料を入れてもイギリスより安い。税金が高い、という人は、科学的な根拠なくぼやいているだけなのだ。私の周りで税金が高いという人は、本当に払っている年収1500万プレイヤーか、給料明細書すら見たことのない人のどちらかだ(後者だと思われたくない方は私の前で税金が高いと言わないほうがいいと思います)。

もちろん、税金の無駄遣いをするから払いたくない、という議論がある。その通りだが、それは全体からみれば微々たる金額の議論で、それは税財政のシステムの議論ではなく、行政監視や、会計監査のあり方、会計制度のあり方の問題だ。また、そのすりかえの最たるものは最近の年金の議論。社会保険庁の不正を騒いで、結果として年金制度の問題が全く議論されなくなってしまった。

税金を上げなければ、結局、とりやすい社会保険料負担に負担が回る。多くの政府の責任を社会保険制度に追いつけていくと、結果としては、制度が空洞化して、生活保護などの最も税金がかかるシステムに負担がまわっていく。

しかし増税を容認するにしても、政府の増税案は筋が悪い。税負担率が低いというからと、税金を上げる、それが所得税に集中していることだ。そして、税金の取れる法人税はそのまま放置している。
問題点の第1に、この先の景気回復の課題は個人消費がカギだ。つまり企業より、個人の財布を緩くしないと景気が本格的に回復しない。景気が回復しなければ税金が入らない。個人の財布をねらいうちにした増税は、税収のもとになる経済をダメにする。
第2に、法人法人税を上げると企業が海外に逃げる俗説があるが誤解だ。最近の企業の業績は日本でなければできない仕事を中心に回復している。ということは海外に逃げようのない事業なのだ。企業の業績は、税金のコスト、人件費のコストだけではない、というこくともある。税金が高くとも企業が逃げない北欧諸国のような例もある。
第3に、相続税や贈与税などの不労所得に関する税金はいろいろな特例で下げられている。親が豊かな奴がさらに豊かになっている。親が豊かでない人は、どんどんチャンスが奪われていく。これががんばったものが報われる社会をつくる改革なのだろうか。

増税をするにあたって、私の考えは、
①リストラで儲けている法人税を上げる。
②それから所得格差の原因になっている相続税、贈与税の課税を強化し、資産の再配分をやってパラサイトを許さず挑戦する機会を揃える。
③次に、複雑化している所得税の諸控除を原則廃止する。現在年収500万円の人は税率で20%のはずだが、70%の課税所得の評価、4割近い諸控除の積算で、支払う税金は実質5%。税控除は高額所得者がより高いメリットを与えるし、低所得者には、税金を払わないことになって、政府への責任が低下する。福祉的色彩の強い寡婦控除、障害者控除、年金所得控除、扶養控除などは、社会保障給付に上積みして所得の再配分機能を高める。
④消費税を上げる。高度消費社会では、パラサイトシングルでブランド品を買いまくる人やコンピューターマニアなど、他人の所得で、所得以上の消費をしている人がどうしても増える。彼らが所得がないからと画一的に税負担を逃れるのはどうか、と思う。個人的にはパラサイトシングル課税として消費税の大増税はやるべき、と思っている。
以上4つは、必ずしも、この順番ということではなく、考え方の優先順位だ。

財務省は、国の借金の議論から増税を提案している。これも筋が間違っている。もう国債は返せない、そこを前提に議論すべき段階に入っている。返せない借金を返そうとするから、財政に無理がかかって、能力があるのにやれないことがたくさん起きている。国債を持っている銀行やお金持ちにお金を返すために多くの納税者から収奪が行われると言ってもよい。
まず国民経済があって、次に財政だ。その財政の中でも、強制力のない自治体の財政が優先され(自治体に税率やサービスのばらつきがあまりにも著しいと移住されてしまう。現実に介護保険ではそういうことが始まっている)、強制力や通貨発行力のある国が最後だ。

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2004.11.06

11/6 NTT固定電話

NTTが電話加入権の財産的価値をゼロにする案が、もめにもめて結局半額にするという。最悪の選択だと思う。
まともな解決法は、残して、今までどおり財産としての価値を残すか、廃止して、携帯電話や新参入の電話などと対抗していくことのどちらかしか方法はない。

私は廃止派だ。NTTを中心とする固定電話を国民の財産として残すには、固定電話を持つためのこの高いハードルを解消しなくてはならない。財産権の問題があるなら、以後、20年とか30年の長期にわたって、NTTには厳しいが、分割払いで財産権にあたる金額を加入権保有者に返済する、あるいは、割引料金とする、などの方法を考えるべきだ。

半額で残すということは、固定電話を持つハードルが下がったが、新規参入が予測される電話やIP電話、携帯電話にまったく太刀打ちできない。加入権を持っている人は、中途半端に財産権を半分放棄させられることになる。固定電話の空洞化はいっそう進み、財産権は半分否定され、NTTにとっても最悪の結果に展開していく。
この背景には、おそらく電話加入権を売買する業者が、訴訟などをちらつかせて抵抗したことにあるのではないか。電話加入権を売買する業者のためにNTTの固定電話というシステムが崩壊しそうだ。

電話のことでは、NTTがあまりにも大きいから、日本の電話は競争原理が働かない、という。電話料金が高すぎる、という。
しかしそれでも85年頃より、電話料金は相当安くなっている。そして電話料金が安くなってどうだろうか。仕事も生活も電話とインターネットにぶらさがりっぱなしで、かえって払う電話料金や通信料金は大きくなっている。一本一本の電話を神経使いながら掛けているだろうか。かつてはたくさんあった電話のマナー本はほぼ見なくなった。
ブログなんかやっていて、言うのも変だが、そこまで電話会社にこだわるような生き方がどうよ、ということを問い直さなくてはならないと思う。
電話料金を安くするために、電話システムをぶった切ってしまうのも、本末転倒といえる。

NTTがきちんと固定電話システムを残す、という腹をくくり、対応してもらいたい。個人的に財産権を消滅させられるのは悲しい。でも、使うのに面倒くさい知識が必要で、一時の携帯電話みたいに、つながるかどうか、そのことを電話で確認しあうような、電話機の機種などの制約を受けるような、わけのわからない会社の電話は使いたくない。NTTの固定電話の奮闘を願いたい。

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2004.11.05

11/5 小田急線の反対運動

間は1日で済みました。復活です。
といっても忙殺されて、書くことがありません。
ブッシュが再選されたことも、ケリーのパンチ不足を考えると仕方がない。鳩山由紀夫みたいな存在?。お金持ちだけどスタンスがはっきりしないし、ともすればブッシュの政治の前提条件になっていることを否定しきれていない。前大統領のほうが、人気もあるし、スタンスも明確だった。ここ2回、注目されているアメリカの前近代的な選挙システムにびっくり。

来月、小田急線の複々線化の9割方完成にともなうダイヤ改正に改正に対して、小田急線の高架複々線化反対運動のメンバーがダイヤ改正差し止めの訴訟を出したという。
大方の市民運動に共感する私が、小田急線の複々線化反対運動に全く共感するものがない。
第1に、小田急線のひどい混雑と、この複々線化区間に該当する世田谷区の住民の被害と比較すると、あまりにも混雑による被害のほうが大きく、1時間に30本以上運転している小田急線の現状を考えると複々線化以外に解決法がない。この被害の大きさを考えると、ここで白紙に戻すことが妥当なのか疑問である、第2に、沿線住民は、小田急線開通後に小田急線の線路沿いの土地を買った人ばかりである。当時の電車は今の電車より騒音が大きく、便利さと騒音との比較はされていたはずである。そして、この人たちは、比較的恵まれた経済状態におかれた人たちである。小田急線の混雑に耐えているのは、安価な住宅を求めて長距離通勤をする、町田、厚木、伊勢原といった地方の住人である。第3に、裁判闘争一本槍という手法の問題である。一般人には参加できないような法律テクニックや専門的技術に議論を持ち込み、通勤地獄に耐えるだけで精一杯の人たちには全く議論に参加できないようにしていることである。

もっとも、こんな劣悪な通勤電車を作ってしまった政策のミスリードもある。
一番大きいのは、通勤手当の税控除上限を5万円にしていることである。このことで、多くのサラリーマンはどんなに遠くに住んでも通勤手当は無税になる。そうなると小田急線のような長大で住宅地として人気のある路線は、どこまでも開発されていくことになる。その結果としての長距離通勤者の増大、乗数効果的に混雑率が上がる、ということになる。
国税で交通に使われる財源のうち、大半が、道路、その残りのわずかを新幹線と地下鉄にバラまかれ、民営鉄道の整備には一切、税金が使われなかったこともある。その結果として、民営鉄道の通勤輸送は、その設備条件に対して、多すぎる電車を走らせて解決している。そして、速度の低下や遅延などの問題を日常的に発生させている。

この差し止め訴訟で迷惑する利用者側にも問題がないわけではない。町田、厚木、伊勢原の住民たちが、通勤地獄で生活の大半を浪費しているにもかかわらず、我慢し、沿線不動産屋のただのカモになっていることだ。利用者がきちんと声を挙げ、組織化し、公共交通機関や政府にものを言う自治が必要だ。これができて、初めて世田谷の阻止運動とフェアに対抗できる。

なぜ小田急線がこんな問題を誘発するほどいいのかかわからない。電車は遅くて、内装は薄暗い。沿線は山だらけで住みにくそう。世田谷には小田急線の増発にネックになるような市民運動の存在。代替交通もほとんどない。
私の使っている東上線は、こんな差し止め訴訟もないし、ラッシュのひどさも、小田急線の3分の2以下。遅いのが問題だけど、小田急よりまし。

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2004.11.04

11/3 

昨日、帰路に温湿度計を買おうと思い、西武百貨店に。ついでに気圧計もついているものを選びました。結構、面白いものです。となりの手帳売場、興味がありましたが、女性が鈴なりで、とてもじゃないけど見れませんでした。来年はここ6年ぐらい使い続けた手帳を変えようかと思っています。

このブログも3ヵ月続きました。
これから2週間ほど、家族の事情で、しばらくとびとびになります。それでもなるべく書くということを課していきますので、ときどき見てやってください。

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2004.11.03

11/2 改憲より社会保障

numasan3.jpg機関紙の校正で印刷業者のところで1日作業。印刷屋さんの1階にいる浅沼稲次郎さんとツーショット。

民主党が次期総選挙(といっても3年後)の争点に、憲法より社会保障制度を優先するという報道。いいことだ。
今、国民にある危機は、ストーカーだったり、児童虐待だったり、年金の持続可能性だったり、ほとんど社会保障にあるといってよい。イデオロギーチックな改憲や、教育の議論は全く意味がない。国民・市民が自分たちの政治は自分たちで決める、という習慣ができないまま(最低でも利益誘導型政治が都会でも通用するぐらいのレベルは)、改憲なんかやるのは右にも左にも危険だ。
民主党が大政党になり、普遍性ある議論が求められているなかで、独善的で普遍性のない空想論や、イデオロギー(特に右よりの)偏向が淘汰されているとみてよいのではないだろうか。
問題は、社会保障を争点にするときの視軸だ。小沢一郎・横路孝弘を中心とする公福祉重視路線か、菅直人を中心とする市民参加型福祉か、鳩山由紀夫を中心とする民間活力(企業競争)型福祉がいいのか、さらにすでに年金でも始まっているが、連合の介入もあったりして、民主党内は議論が混乱するだろう。

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2004.11.01

11/1② これからの漱石

今日から新札が流通する。私の愛する夏目漱石が消え、野口英世に入れ替わる。

国費留学して、鬱病になり、地方勤務で地方の風習に敬意を払う気持ちになれない、屈折した都会人、夏目漱石はこれからの時代にいいモデルになるんじゃないかと思っていた。夏目漱石を紙幣にした人のセンスを尊敬してした。

野口英世は、献身的だし、学究的姿勢は尊敬している。体のハンデを乗り越えたこともすごい。しかし、あまりにもその献身的な姿は分かりやすすぎるような感じがする。野口英世は深みがあるが、野口英世を受け取る人々がそんなに深みをもって野口英世を受け取るとは思えない。

紙幣は偉人であるべし、という価値観を変えられないのかと思う。

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11/1 講演傍聴三昧

大好きな11月がやってきました。このブログも3ヵ月経過しました。
今日は講演傍聴三昧。
午前中は、朝霞市の地域福祉計画策定委員会、市民委員会、職員の合同の地域福祉計画の学習会で、日本福祉大学の原田助教授の講演を聴く。
午後は昼ご飯抜きで、日暮里のホテルラングウッドにかけつけ、連合が春闘でどんなことをテーマにするかを各産業別労働組合に諮る「春闘討論集会」の取材。連合総研の中名田所長の景気分析、同志社大学石田教授の企業内労組の可能性に関する講演を聴く。
夕方職場に戻り、作業続行。

地域福祉計画の学習会は、市民委員、策定委員、職員がこの計画とはそもそも何のためにつくるんだ、ということを再認識するために行った。
茅野市の地域福祉計画の策定に携わった原田先生からは、福祉は、①地方分権、②利用者主権、③サービスの担い手の多様化を柱として、1990年代後半から大きく改革が始まっているとして、自治体が福祉に力を入れていかないと、介護移住がおきる、と指摘。
市民の責任で創る福祉サービスがどういったものなのか、ということで挙げられた釧路市の事例がよかった。
昔から自治体が24時間ホームヘルプサービスをやっており、市民グループが痴呆の人の見守りネットワークを市民グループが営む。そのことで、市民の痴呆高齢者への偏見、身体拘束や拘禁が無くなり、痴呆だけの高齢者に関しては24時間在宅介護が可能になり、コストの高い介護施設への入所希望も少ないという話を聴いた。自治体がきちんとサービスを作り、市民が機動的に動ける部分を自主的に担う、痴呆高齢者は安心して外出できる。
市民が主体的に困ったことを解決していく、そのこどか事業化して、市民が担う福祉をどう創るかが課題だ。
質問は、①措置制度や自治体への財源移譲で、DV対策とか児童虐待などの政策的対応に不安あり、②心のバリアフリーの徹底が必要じゃないか、③総合福祉条例をつくった自治体の意義を聞かせてほしい、④は私から、東京通勤者に福祉のネットワークに入ってもらう技術は?の質問が出た。①は国依存でなく、自治体がどういう福祉が必要かまとめることのほうが重要だ。②はその通り、③は計画をつくりっぱなしではなく、進行管理をしていく過程で条例が必要になって作って、意味が大きい、④特効薬はないが、「プラットホーム方式」といって一つの場に、いろいろな課題にあわせていろいろなボランティアや利用者が集まるような仕組みをつくれば、とお答えいただいた。

rengo.jpg連合の「春闘討論集会」では、日本からの素材輸出→中国はじめアジアでの加工→アメリカでの消費、という仕組みが定着して、大企業の製造業を中心に経済は良くなっている、ということを前提に春闘を取り組む。今年の課題は大企業と中小企業との間の賃金格差の縮小、サービス残業の撲滅、下請け企業などへの取引関係の改善などに取り組む。しかし存在感の空洞化が著しい労働組合は、政府に政策を要求できても、国民運動や国民意識の変革につなげることができるだうろか。サービス残業の撲滅などはそこが課題になるだろう。

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