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2004.11.30

11/30 ツバメ・ブランド

新潟県燕市の商工振興課を取材。
朝早く出て、新幹線、代行バス、新幹線、タクシーと乗り継いで、昼前に到着。

時間が1時間近く余ったので、燕市の産業史料館を訪問して資料写真を撮影。
かえりがけに学芸員の斉藤さんがお茶を出してくださり、お茶を飲みながら、いろいろ興味深い話を聴く。
燕市は、元禄時代に銅釘の産地としてスタート、やがてキセルや、を生産。そして明治維新とともに、金属洋食器産業として展開していく。戦時中には、金属洋食器が禁止されたので、航空機部品などの軍需品の生産をし、戦後再び金属洋食器の生産に戻ったという、何度となくしなやかに危機を乗り切ってきた、工業都市だということ、一方で、実用品ばかりつくってきたので、技術があるのに芸術的なものをつくることになかなか眼が向かない、という悩みも話された。戦時中に国家総動員法の金属徴発があったので、歴史的な金属製品が残っていないのも悩みのよう。

市役所では商工振興課の赤坂さんにお話しを聴く。
こちらはうってかわって元気がいい話。デフレで痛めつけられている燕の地場産業がどうふんばっているのか、なんてテレビ番組的なステロタイプな絵を描いて取材に臨んだら大間違い。
燕市の経済は低下傾向にあるものの、しかし倒産件数は少なく、後継者問題で廃業に追い込まれたところが減ってきている、という話。
むしろ、最近では、協業をさらに発展させて技術革新などを織り交ぜながら、新しい展開をしつつある、という。おもしろいのは「協業」、燕市の金属加工業は、3人以下の零細企業によって営まれ、営業活動はせず、得意の分野に特化している。そうした業者が、市内に多種多様な加工が可能なように集積して存在しており、仕事の取り合いよりも、自分よりもよりきちんとできる業者に仕事をまわしあい、燕ブランドをつくっているということ。
ここ数年、勝ち組負け組、競争原理一本できたが、そうではなく、自らの専門性を高めて、たすけあい、まわしあいの仕事の仕方を集積させていく、という方法論は学ぶべきことが多い。
それが可能になったのは、工場が営業活動せず、問屋任せにしてきたことも大きいという。現在は、その問屋による営業のほか、加工業者どうしでチームを組んだり、自治体の外郭団体が燕ブランド全体を営業活動することで、洋食器だけではない幅広い金属加工の仕事を取ってきているという。

最後に燕三条駅前の地場産センター。いい金属食器や包丁が揃っています。

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コメント

 家にも三条の包丁がありますが、切れ味が素晴らしいです。買ったとき店員さんの話では刃先はヤスキハガネという島根県で昔から作られている鋼をつかっているとのことでした。これも地場産業かなあとおもって調べたら、今は日立金属という会社がその技術を引き継ぎ先端的な高性能鋼をつくっているようです。
 ここでは日本刀の原料になる玉鋼をつくっていたり、カミソリの刃は世界の50%以上のシェアを持っているものすごく刃物にこだわった鉄鋼メーカーみたいで、切れ味がよいのもうなずけました。

投稿: 錦 | 2007.08.25 20:26

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