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2004.11.29

11/28 肉体至上論の介護保険改革

28日毎日新聞に介護保険の軽度、要介護度1、要支援の受けている家事援助が原則的に「新予防給付」に移行するという記事が載せられた。介護保険の若年者の拡大とともに、大きな改革の柱になっている。

現在、介護保険では大手事業者を中心に、利用者の足にお湯をかけて気持ちよくして「身体介護」、自立して家事をする能力があるのに「家事援助」として、介護を行っているとしている事例が多い。こうした介護を続けていると、高齢者の自立する力を奪い、寝たきり高齢者をつくっていったプロセスと同じになる、ということだ。だから介護予防の視点を、というところまでは同感。しかし、高齢者の生活をどうするのか、機能回復の期待できないものをどうするのか、身体機能の回復だけで自立といえるのか、そういった視点でいうと短絡的な改革といわざるを得ない。

私は3点問題があると思う。
まず、介護保険の在宅サービスのほとんどがサービス時間による点数制度になっていて、内容を問わないようになっている、ということだ。だから、低レベルで、介護の知識のない利用者が単純に喜んでしまうようなことばかり業者がやりたがるのは自然のことだ。歩く途中で休まれたりして、時間の定まらない散歩などをヘルパーがいやがるのは当然とも言える。医療のようにサービス内容に応じて点数制度を組み立ててもよいが、それがまた過剰サービスになる可能性もあって、難しいところだ。
次に、介護サービスの内容を決める「ケアマネージャー」が、介護サービスを提供する事業者に雇われてもよい、として、介護事業者のいいように介護サービスを組んでしまうことができることにしたことが問題が多い。
そして、苦情解決のシステムも整備されていない。国保連合会へ、ということになっているが、国保連合会の存在を知っている人は少ないだろうし、介護の必要な高齢者に、国保連合会に申し立てるということは相当のことがない限り不可能だ。

財源問題は本来、医療が介護の代用として高齢者の長期入院によって行われてきた「社会的入院」の解消で帳尻を合わすはずだった。しかし、医療業界が医療保険で高齢者から上げる収入はほとんど減らない。社会的入院に代わり相変わらずの過剰診療、過剰投薬が行われ続けているといえる。その結果、介護に移行してコスト低減を図るということができていない。こちらのほうが重要なのに、まったく放置され続けている。
もっと、医療保険の負担とワンセットで介護保険の負担の問題を語るべきだ。

また、利用者の自立をもっと主体的に捉えるような改革が必要で、自立が身体機能だけ、という短絡的な高齢者観は捨てるべきだ。より社会参加している、自分で自己決定ができている、そういうことに近づけるような改革でなければならない。わかりやすく言えば、痴呆老人の介護はどうあるべきか、ということだ。痴呆老人に身体機能の改善ばかりやっていれば、その家族にとっては介護保険制度導入前の介護地獄が戻ってくるのではないか。また、カップラーメンばかり食べている高齢者というのを最近よく見かける。体力の限界で重たい買い物や長時間歩くような買い物ができないからだ。自宅に野菜や魚や肉をもってきてくれれば、料理ができる、そうした高齢者の自立をどうとらえるのか、ということをもっと考えなくてはならない。

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